ギニョっち通信

朝鮮関係の翻訳ニュース、将棋、アングラネットの話。日本語でググっても出てこない情報をアップします キムギニョン

オウムが現代人にヒットしたのは「可算感覚」

もくじ
■功徳・カルマの「貯金・消費」観
■ヘッドギアへのロマンティックな考察
■小技
■「フロイト無意識教」とオウム真理教
■ヨガのゲーム性

オウム真理教情報科学・化学・工学など様々なエキスパートが集結し、犯罪や営利活動などしていました。
そんなオウムが現代人の心を打ち抜いた理由は、教義の整合性とか既製仏教批判とかヨガの日本への導入のほか、このような考察もあると思います。

 

 

参考文献「イニシエーション」「絶対幸福への道」「超能力秘密の開発法」「十二縁起」

■功徳・カルマの「貯金・消費」観 
幸福・苦痛を量的に勘定する量的快楽主義という哲学の一派がある。
似たようなものに質的快楽主義・選択功利主義とかがある(私は哲学に疎いのでよく知りません(;_;))。
オウム真理教も同様に「功徳」「カルマ」を量的なものとした。
「カルマ」という単語は「悪い事をした結果としてもたらされる(潜在的)不幸」というイメージがあるが、それは「悪業」です。
正確にはカルマには「悪業(あくごう)」と「善業(ぜんごう)」がある。「善業」は、よい事をした結果としてもたらされる(潜在的)幸福です。
たとえば麻原彰晃は、修行の進みが速い信者の、その修行の進みの速さを「前世・今生(こんじょう 「前世」「来世」に対しての「現世」)の善業の恩恵」とし、
逆に修行の進みの遅い者については「前世・今生の悪業の結果」と説明した。
ちなみに修行の進みが速い者については、よく「前世で麻原彰晃と修行をしていた」「前世で僧侶だった」などの説明付けがされた。

オウム真理教では悪業は苦痛によって単純に償却される。
信者が不幸な体験をすれば「それは前世・今生のあなたの悪業の結果」とし、「今回、その苦痛によって悪業を償却・清算できた」ので「よかったね!」となる。
この考え方は非常に便利なものだと思いませんか?苦痛を合理化出来る。まあこの考え方自体はオウムのオリジナルではなくて古来からインド思想の根幹にあるものですが。
この理論は応用できて、たとえば信者がAさんに嫌な思いをさせられたら「それにより信者のあなたは悪業が落ちた」上に「そのAさんの悪業が増えた」し、
「Aさんが人に嫌がらせをするような人格になったのは、Aさんの前世・今生の悪業の結果」であるとし、「Aさんが救済されるように願いましょう」となる。
キリスト教の「敵を愛せ・あわれめ」の教えに似ている。
オウム真理教はこの理論で江川紹子有田芳生坂本弁護士らを「悪業のかたまり」と形容した。
また、オウム真理教には「カルマ落とし」という文化がある。ここでの「カルマ」とは「悪業」を意味する。
たとえば信者を縄で縛り、竹刀でボコボコにし、その苦痛によって一気にその信者の悪業を落とす、というものです。

で、善業と功徳。この2つは大体同じものと考えていただいて構いません。
オウム真理教では「修行をすると、善業・功徳が増え」て、「その善業と功徳が消費され、対価として自分に幸福が降りかかる」と説明しました。
逆説的に言えば、修行の更なる上達を願う信者は「自分に幸福が降りかかると、せっかく修行で貯蓄した善業・功徳が相殺されてしまう」ので、逆に自分に幸福が発生しないように願う。
功徳を成したものは死後、天界(めっちゃいい世界)に輪廻し、功徳を消耗しきるまで天界で安らぐ、と説明されました。
また、以下に挙げる例は、麻原彰晃・著「絶対幸福への道」を読みつつ私が取っていたメモです。原文はいま参照できないのでメモでお伝えします。

”第三ステージの意志の訓練により、今まで蓄えてきた善業のエネルギーが一定方向に進むようになる。
意志の極限(注・修行法)は、修行により生じた功徳が消費され、喜ばしい現象として自身に返ってくるプロセスを遮断し、積み上げた功徳を全て修行目的に充てる。
私は悟りを目指さない、という人は、訓練により一本化した意志の力(功徳)を、今生の人生の目標という使途のみに使えば必ず結果が出る。
つまり、功徳を無駄遣いせず、自身が指向する用途にのみ消費する事が意志の訓練なのだ。”
”サルベーション・エンライトメントを求める者は、次の精進プロセスに入る。精進とは、膨大な功徳を土台に、悪業を積まない条件を作り、その蓄えたエネルギー=功徳を意志の力により一定方向に使う訓練をなす。
 そしてその功徳を解脱・悟りのための方向のみに使用したとき、精進のプロセスが始まる”

カルマ・功徳を量的に換算するだけでなく、その使途までコントロール出来るんですね。
私はそれらの経典はほぼ読んだことがないですが、恐らくオウムの母体となった原始仏教チベット密教にはここまで量的に或いは物質的にカルマ功徳を扱っていないんではないでしょうか。

私がここまでで思ったのは、非常に善業と悪業を量的に換算し、まるでお金やポイントカードのように解釈している点です。
■ヘッドギアへのロマンティックな考察
以下ひかりの輪サイトの上祐氏の文より抜粋

12月頃から、パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーション(PSI)というイニシエーションが信者に行われるようになりました。
 報道では、よく「ヘッドギア」と表現されていたものです。麻原の脳波を電気信号にしたものを信者の頭に贈り、信者の脳波を麻原の脳波に近づけるというイニシエーションです。
  麻原によれば、通常の人間の脳波には波があるにもかかわらず、麻原の脳波はフラット(平坦)になっており、これは脳波が煩悩から解放された高い悟りの境地にあることを
   科学的に証明しているとのことでした。(中略)しかし、そもそもこの平坦な脳波が高い悟りの境地をあらわしているという科学的な根拠はありません。
    また、脳波に詳しい専門家によると、緊張が強い人や統合失調症の傾向がある人も脳波がフラットになるという場合があり、
コンピューターシステム(PSI)と電極・電流によって、大量の成就者を出すという考えは、非常に荒っぽく、安直であり、同時に、人を物質と見るかのような非人道的な側面がありましたが、
同時に、それはどこか現代の大量生産社会やコンピュータ社会に通じる発想とも思われます。

なかなかロマンティックだと思います。同じロマンティックなオウム解釈としては島田裕巳氏の「オウム真理教=ディズニーランド理論」があります。
で、PSIを平成期の情報化社会のメタファーと捉える考察に加えて、
上記の「功徳・カルマの貯金・消費的な勘定」観が、バブル期とその崩壊後までの「超資本主義社会」のひとつの産出物に思えます。
宗教は社会の写し鏡とよく言われます。つまり社会がカルトを産むという事はよく指摘されていますが、
小室直樹氏は、宗教家・預言者をシステム理論用語の「ビルト・イン・スタビライザー」にたとえました。
この用語はここでは「社会があるべき状態を逸脱した時に、それをあるべき状態に戻すため、もともと社会に組み込まれている制御メカニズム」を指します。
もしかしたらオウムは平成型資本主義に拒絶反応を起こした原始的な人類性の顕現としての側面があるかもしれませんね。

■小技
オウムは、信者が俗人(無宗教者)と接する事を避けるように教えました。これには異教徒との同化、あるいは教団外部の情報に接することで、世俗化=宗教に飽きる事を防止する狙いがある事も、歴史的に見れば明らかです。
たとえばイスラム教では、信者は異教徒と食事をする事を禁じられます。これにより、イスラム教徒と異教徒との同化を防げます。これに似たテクニックは世界中の宗教に見られます。
ユダヤ教の食物規定(食べていいもの・悪いものの分類)も同様です。実際に、現代でもハラルフードとかなんとかで難民移民と現地民が揉め事をよく起こしてますが、偉大な古代の教祖のテクニックの成せる技です。
また、オウムでは怒ったり悲しんだりして感情を強く動かすと、修行に使うためのエネルギーが体外に放出されると説明しました。
つまり無感動に徹せよという事です。加えてオウムの修行体系により、出家信者は不眠不休で毎日ハードな修行に打ち込んでいました。
マインドコントロールのテクニックとして、眠らさない、疲労させるなどして無感動にさせるというモノがあります。
北九州監禁での松永も同様のテクニックを使っていましたね。また前の記事でも書きましたが、とにかく疲労時は神秘体験をしやすい。神秘体験を重視していたオウム真理教では必須テクニックでしょう。
また「(ハルマゲドンなどの)存在しない危機を煽る」と「救済」というセットも、古来より宗教の基本的テクニックでした。

■「フロイト無意識教」とオウム真理教
オウム真理教は上述の通りカルマ、特に悪業を便利な理論として活用しました。
なんでもかんでも悪業。あなたの不幸は悪業かつカルマ落とし、オウムへの敵対者も悪業のかたまり。
で、ジークムントフロイトという精神研究者がいました。彼は人間の心理に発生する色々な現象を「無意識」のせいだとしました。
竹田青嗣いわく”フロイトニーチェマルクスと並んで、近代思想の限界を示し、20世紀の思想を決定づけた人物と見なされている。
 それは彼が人間の行為には無意識の動機があることを見出し、近代思想が前提としていた理性的人間像を打ち砕いたからだ”
フロイトは、人間の心の秘密をまるで複雑なからくり機械の構造を解き明かすように説明して、多くの熱狂的な信者をつくり出した。
 20世紀におけるその影響の大きさたるや、他に類を見ない。しかし、まず覚えておいた方がいいのは、フロイトの説の多くは、じつは現在までほとんど実証されていないということ。それはずっと仮説のままなのだ。”
”それでもフロイト理論には、わくわくするような説明の面白さがあり(中略)たとえば、夢で見る帽子はペニスのことだ、とか、動物恐怖症の人は父親への憎悪があるとか、
 人間心理の便利な「模型」図を手にして、それで人間の心を理解した気になってしまう(中略)これだとせっかくのフロイト思想も、血液型理論とたいして変わらなくなる。これは悪いフロイト読みの典型だ。”
「無意識」という概念は非常に夢があるし、面白いし、説得力がある。しかも反証も実証も実施し辛い。
人気の割には実証できる余地が少ないので、このフロイトの無意識理論は「無意識教」と揶揄されました。
カルマ理論も似たようなものですが、オウム真理教も「無意識」をよく用いました。
何冊か麻原の著作を読みましたが、どうもディテールが見えてこないのですが、オウム真理教における無意識理論は大体こういうものです。

全ての生命の魂は「マハーボーディ・ニルヴァーナ」という最高の場所に存在しました。
その魂は、マハーボーディ・ニルヴァーナのひとつ下の世界である、光だけの世界「コーザル世界」へと、好奇心から遊びに行ってしまう。
続けて、その魂はさらに下の世界である、微細物質だけで構成される世界「アストラル世界」に好奇心から遊びに行ってしまう。
その後、同じようにどんどん落下して行き、我々人間は六道輪廻の中の「人間界」に落ちてしまいました。オウムで修行して、いつか自身の魂を「マハーボーディ・ニルヴァーナ」に戻そう!というのがオウムです。
で、微細物質だけの世界「アストラル世界」での魂の経験が、我々人間の深層心理つまり無意識のもととなっています。
修行によって、たとえば瞑想で深層心理にアクセスし、深層心理内の汚れ=アストラル世界での経験 を削除しましょう!ということです。
ちなみにこの「落下説」は、大昔の哲学者プロティノスの「流出説」とほぼ同じです。私は偶然発見して驚きましたが、ネットで「プロティノス オウム真理教」でググっても特に何も出てきませんでした。
麻原は西洋哲学にも通じていたのでしょうか…
話を戻しますが、オウム真理教ではフロイト無意識教のように度々深層心理を説明に用います。他の仏教のセクトでも、「阿頼耶識」など無意識に関する理論があります。
ちなみに「アストラル世界」という微細な物質で構成された世界には「クリアーライト」つまり幽体離脱のような方法で行く事ができ、
たとえば日本で核戦争が起きてもオウム信者は「クリアーライト」して意識をアストラル世界に移し肉体を捨てれば無問題である。と説かれています。
実際に上祐さんや村井さんなどの成就者も、アストラル世界にたびたび旅行して、そこで見たもの体験したものについて詳細に述べていまして、
その文献は、オウム真理教の後継団体「アレフ」が秘密裏に運営する「オウム真理教非公式サイト」にて公開されていましたが、現在そのサイトが閉鎖していてみられません。

■ヨガのゲーム性
ヨガでは「クンダリニー」という概念があります。尾てい骨に眠る霊的エネルギーです。これが背骨をつたって頭頂部まで登る過程で、体内の各部位にあるチャクラ・結節を破壊します。
チャクラ・結節をクンダリニーが順次破壊するたび、順次「超能力が得られる」と麻原は説きました。

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で、このクンダリニーの上昇の勢いを高めるためには、禁欲をすることで発生する食欲(空腹感)や性欲など、生理的なパワーが燃料となります。
ですからオウムでは、なるべく日常生活で怒ったり悲しんだりと、感情を動かさないように奨励されました。なぜなら、それらの情動の力を、出来るだけクンダリニー上昇の燃料として使用すべきだからです。
なんだかゲーム的ですね。楽しんで取り組めそう。
オウムにおける「功徳」は、消費物=計算可能なものとして扱われました。
たとえば、他人に良いことをすると、自身の魂は功徳を稼げます。で、功徳が積もると、自身に現世的な喜び、つまりお金を稼げたり、仕事や恋愛の円滑化などの形でメリットが還ってきます。
で、その「功徳の現象化」に際して、功徳は償却されます。なので、解脱を目指すならば、貯金した功徳をなるべく修行にのみ還元し、現世的な喜びに消費されないように気をつける事が奨励されました。
在家修行者なんかは解脱(=輪廻転生からの脱出)を目指さず、天界に行く事(=よい輪廻転生)だけを目的とするようなケースが多かったですが、
そのような場合は、功徳はどんどん現世的な喜びに消費してもよいとされました。
哲学では「幸福・快楽は計算可能である」とする学派がいますが、オウム真理教もそのような感じですね。
資本主義社会で生活している現代人には、このように「可算」という感覚がヒットしたのでしょう。
ちなみにクンダリニー症候群は、ヨガだけでなく、仙骨への衝撃や、長時間の前戯、臨死体験向精神薬などの薬物摂取でも発症します。
私も合法LSDを摂取して瞑想をしまくった時や、普通に瞑想しまくったあとは2日3日くらいアナハタチャクラとムーラダーラチャクラ(胸とアナルらへん)が”むずむず””熱く””気持ちよく”なりました。
つまりチャクラが壊れかけているということです。しばらくすれば戻りますが、このように実際にヨガをすると明確に体調と心理に異変が生じます。
チャクラ壊れかけの日は不眠になる上に一日に5回くらいシコってしまいますね。
■おわりに
オウム真理教が規制仏教へのカウンターとしてなど様々な要因で需要があった事については前の記事「次にヒットする新興宗教のつくり方」(url)でかきました。
最近、「次にヒットする新興宗教のつくり方」のシミュレーションを煮つめたくていろいろとしらべていました。
そしたら「唯幻論」というものにであいました。「人間は幻想を常に希求する存在である」というものです。
私が宗教に興味を持つきっかけとなった色々な考えや疑問が、唯幻論で既にけっこう考察されていました。
この前も、自分が同人イベントで売ろうと考えていた宗教にかんする小説の内容が、見沢知廉の「天皇ごっこ」でかなり表現されていました。
そういえば中沢新一が、オウム事件が一通り終わった頃「私は宗教学者として死んだ」とした上で「これから宗教を表現するためには文学を用いるほかない」と言ってましたね。
確かに聖書もコーランも明確に文学ですし、そもそも神話全般が文学ですよね。
麻原も小説家になれば大成したと思います。宗教も文学も、他人の価値観を改変しようとするレースですし

 

 

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次にヒットする新興宗教の作り方

次にヒットする新興宗教の作り方を考えました。
ひかりの輪」「生長の家」が最善に近いかもしれない、という結論に至りました。
急いで書いたので支離滅裂な部分があるかもしれないので、よければ指摘してください。
また、なるべく多く引用や出典明記をしています。
※表記揺れがあります。「原始仏教」「初期仏教」という単語は同じ意味です。
次の七点が鉄則です。

伝統宗教の権威を笠に着る
②既成宗教へのアンチテーゼを打ち出す
④即物的修行法
③宗教の持つ現実主義的側面を打ち出す
⑤宗教への邪道的ニーズへの対応
宗教多元主義相対主義
⑦現実主義的解釈
⑧人文・自然科学の包括
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伝統宗教の権威を笠に着る
現代に、たとえば日本に国生み神話を唱える自称・神が現れても、カルト扱いを受けるでしょう。
現代にムハンマドやイエスが現れても、統合失調症とかてんかん患者として扱われるでしょう。
仮にあの時代にムハンマドやイエスが生まれなかったら、今の世界中のクリスチャン・ムスリムは、今日、別の神を信仰していた事でしょう。
日本神話の時代にオウム教団があったとしたら、もしかしたら今日、千代田区の皇居の位置に麻原の子孫が住み、国費でオウム真理教の儀式が執り行われていて、
そして近畿地方に国生み神話を唱える自称・神が出現してカルトとして好奇の目で見られていたかもしれません。
「古い宗教だから」という事で信用を得られる=危険視されないという現象は普遍的にあります。

●現在の日本仏教は偽物
オウム真理教幸福の科学も、新興宗教はよく伝統宗教を標榜します。
典型的な例で言えば、初期仏教回帰を唱える阿含宗ですね(私は最初、阿含宗を伝統宗派と勘違いしました)。
あるいは神道系の信仰宗教も、そっくりそのまま伝統宗教に擬態している事もあります。
伝統宗教にの権威を笠に着る、あるいは伝統宗教に擬態する事で、信者となりうる層の警戒心を説く、という戦略は、今まで数多の信仰宗教が取ってきました。
実際に、初期仏教回帰を唱えるオウム真理教が人気を集め、また島田裕巳中沢新一のような識者に支持された要因に「現在の日本仏教の堕落」があります。

岩田文昭「宗教研究への視点―オウム真理教宗教学者―」から引用
オウム真理教をある程度支持した知識人に共通していえるのは、彼等がいずれも現状の宗教界や世界のありように
否定的見解を持っているということである。現状に対する強い問題意識があるあまり、それが「反社会的」なオウム真理教への共感として現れているのであろう。
しかしいうまでもなく現状を否定する運動がすべて正しいわけではない。”

日本仏教の堕落や、宗教全般に見られる教義の変化の原因、「メタファー」「方便」など宗教について考える際に必須の概念について、簡単に説明しました。
長いから読んでられない、という方のために短く説明すると
「現存する仏教経典は99%偽物で、初期仏教と日本仏教は全く教えが違う。全ての宗教は一時的な必要性によって、動機が善意であれ悪意であれ、教義を変化させる」という事です。
http://kimginyon.hatenablog.com/entry/2018/03/25/045346
若干長いですが各章ごとになるべく興味を惹くような事を書きました。宗教に詳しくない人が読んだら宗教に対してのスタンスがガラッと変わります。
もくじ
●葬式仏教
●異なる社会倫理との接触―セックス・スカトロ仏教―
●無教養者への迎合―仏が異教の神をボコボコにして改宗させる神話―
●メタファーの読み間違い―イスラム教の豚肉禁忌―
●教義の偽造―仏教教典は99%偽物―
●翻訳で変質する教義

仏教について勉強し始めた人は「経典が99%偽物、釈迦の教えと日本の仏教はほぼ別物」という事実に動揺するでしょう。
現在も日本の仏教オタクなんかは、よく現在の日本仏教を批判し、チベット仏教・後期密教・初期仏教を礼讃します。そういう人の受け皿になったのがオウムでした。
オウム真理教は初期仏教回帰を唱えました。当時の日本で初期仏教回帰を唱える団体は少なかったので、単純にその分の需要がオウムに集中しました。
同時期に初期仏教回帰を唱えて人気を博したのが、かつて麻原や林郁夫も信仰し、さっき例に出した「阿含宗」です。
また後期密教や宗教ヨーガを大々的におこなう団体もオウムくらいしかなかったので、その需要も集中しました。空中浮遊写真だけで41000人の信者を集めただけではありません。
もし麻原が、仏教・キリスト教ヒンドゥー教の要素を排除した、全く新しい世界観を打ち出したならば、先述のタイプの需要も生じず、また知識人からの支持もなかったでしょう。
歯医者はコンビニより多いと言うが、寺などの宗教施設もコンビニより多い日本において、伝統宗教の権威を笠に着ない教団は規模を拡大する事が難しいと考えるのは自然でしょう。
時に「乗り終わったイカダ」に固執して陸にあがろうとしない伝統宗教を批判し、時に「今だから必要なイカダ」に乗らずに頑なに航海しようとしない伝統宗教を批判する事は、新興宗教の常です。

また、時間経過が宗教に与える恩恵として、宗教が文化・生活レベルで市民社会の中に馴染み、また社会との様々な衝突を経て、角が取れて丸くなる(世俗化する)という、
ほとんどの宗教に見られる現象があります。創価も幸福も一向宗も法華系教団も同様です。また逆に、社会との衝突によって、更に教団が先鋭化するという場合もあります。

麻原彰晃の死刑執行時の朝生で、田原が「このままじゃ100年後には麻原はもっと神格化されますよ」と言い、パネリストも一様に頷いていた。
精神衰弱に対して治療を施されず、むりやり死刑を執行される麻原の姿は、キリスト教の受難、つまり正当な手続きを踏まず、不幸にも磔刑に処されたイエスとかぶって見える。
一向宗や法華系宗教を見ればわかるに、体制側から不当に弾圧された経験のある宗教は(宗教に限らないが)、その悲哀の歴史を旗印とし、より強く団結するのが常だ。

これからヒットする新興宗教を作る場合、必ず、オウム真理教のように伝統宗教を土台にする必要があるでしょう。
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②既成宗教へのアンチテーゼを打ち出す
先ほどの「伝統宗教への回帰」とは逆方向で、伝統宗教の権威を貶める手法です。これに関しては①の項目と同じような内容です。

後発の宗教は、それ以前の宗教を否定する事で権威を得る、あるいは教義を進化させるという現象があります。これは宗教史で常に繰り返されてきた戦略です。
コーランは「論争の書」と呼ばれ、イスラム教以前に既に人気を博していたキリスト教ユダヤ教の教義の矛盾や脆弱性をあげつらう事にページ数が割かれています。
オウム真理教が組織された頃に既に人気を博していた幸福の科学の教義を否定する目的で、麻原彰晃は「真実の仏陀の教えはこうだ!幸福の科学の会員よ聞きなさい!」という本を著した。
私もちょっと目を通して見たが、「麻原流仏教・キリスト教vs大川隆法」のような異端対異端の構図と、「正統な仏教・キリスト教vs大川隆法」という正統vs異端という構図の割合は拮抗しているように見えた。
その本の出版と同年に放送された「朝まで生テレビ」で、幸福の科学(大川不在)とオウム真理教が討論したとき、幸福の科学は「大川総裁が言ってるから正しい」を繰り返し、
オウム真理教は、”麻原流仏教”だけでなく、仏教経典や教義の変遷について学術的に検証された範囲に限っては正しく語り、識者は一様にオウム真理教が勝利したと判定した。
この放送を期に、島田裕巳中沢新一のような、初期仏教回帰あるいは現状の仏教界に否定的な識者は、オウムを「初期仏教的・意欲的である」として支持するようになった。

実際のところは、■lll.「宗教体験」としてのオウム真理教によれば、仏教学者のほとんどが「オウムは仏教ではない」としている。
小室直樹も「日本人のための宗教原論」で
オウム事件ほど日本宗教の致命的欠点いや、宗教不在を如実に証明してくれたものはない。この意味で、オウムの功績は極めて大きい。
日本の宗教家と宗教学者、宗教評論家がどんなに宗教無知であるかは、彼らのオウムに対する反応を思い出していただければ明らかである、
彼らのうち、ただひとりも、オウムは仏教ではないと断言しなかった。」
と断言している。

さっきも引用しましたが
「宗教研究への視点―オウム真理教宗教学者―」において述べられたように
オウム真理教をある程度支持した知識人に共通していえるのは、彼等がいずれも現状の宗教界や世界のありように
否定的見解を持っているということである。現状に対する強い問題意識があるあまり、それが「反社会的」なオウム真理教への共感として現れているのであろう。」
同じことを小林よしのりが著書「オウム的!」で言っていた(ちなみにこの本は、その箇所以外は本当に低品質な内容だった)。
無知ゆえに擬似無神論に浸っている世論にとってかっこうの嗜虐対象として攻撃されているオウム真理教が、宗教インテリには「受難」のように見えたのだろう。
あるいは擬似無神論の持つ醜さの、ある種のシンボルに見えたのだろう。

擬似無神論というのは、私の勝手な造語です。該当する語句がないようなのでつくりました。
横道にそれますが、無神論の「論」とは「論理」の「論」です。ただ単に漠然と神が居ないと思っている、あるいは宗教に忌避感があるだけの人、は「無神論者」ではなく、「神が居ないと漠然と思っている人」です。
無神論者」を名乗るならば宗教と哲学に精通していなければならないと思う。

で、「既成宗教へのアンチテーゼ」の「既成宗教」というのは、「新興宗教」も射程に含まれる。

やはり、今あげた二つの教団の影響で、「新興宗教」と聞けば大半の人が超能力系宗教をイメージするだろう。
これらへのアンチテーゼとして、後述するように「宗教の持つ即物的側面を打ち出す」事によって差別化をはかれるのではないだろうか。
ひかりの輪がそうしているように、オウム真理教のような超能力教義を批判し、宗教の現実主義的・即物的側面の強調に終始する事も重要だろう。

我々一般市民が観光などで宗教に触れるタイミングといえば、お賽銭、願掛けなどの願い事、のような呪術的信仰ばかりだ。
宗教=呪術的信仰というイメージが根付いている。高い金で布施や仏壇購入をして祈れば幸福になれる、というようなギャンブル性のある信仰は現代人はまっぴらごめんだろう。
ここで一つ、「即物的修行法」が重要になってくるように思う。
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③即物的修行法

先述のお賽銭のように、存在するかどうかわからないものを崇める、また「神頼み」のような信仰形態を宗教をここでは「呪術的宗教」。
哲学のように科学的方法論で理論・哲学体系を有し、必ずしも教義の上で神の存在が重要でない宗教をここでは「即物的宗教」と呼ぶ。
前者は神道。後者は仏教だ。キリスト教イスラム教もユダヤ教も、とても高度な哲学体系を持っているが、その理論の根底には「神」が重要な位置を占めているので後者には分類しない。
西洋哲学が発達した原動力も、「神」を足場とした哲学からの脱却をはかった点にある。

「変性意識状態」という言葉をご存知だろうか。
座禅やヨーガ、修験、念仏、踊念仏、ゴスペル、などの身体行法・瞑想を行うと、「変性意識状態」になり、神や世界と一体化するような気分、或いは精神の安定や高揚、宗教的哲学的啓示が得られる。
古代宗教では、呪術的宗教・即物的宗教ともに、幻覚剤や麻薬が瞑想・儀式に使われ、例えばマジックマッシュルーム自体への信仰なんかも生まれた。
実在するかどうかもわからない神仏のために、高い仏壇を買ったり、賽銭を投げたり、お布施をしても、変性意識状態のような、修行の成果を実感する事が得られない。

その点で、オウム真理教は「即物的修行法」つまり変性意識状態によって、修行・信仰の成果を実際に体感できるような修行体系を作った。
ヨーガ、LSD、不眠、断食、そして五体投地などの激しい運動により、信者は変性意識状態にスイッチしやすい状態に置かれた。
そして、例えば徹夜でのヨーガ中に幻聴・幻視・幽体離脱などの神秘体験を実感し、更に信仰を深める、などの現象が起こった。

現代市民は合理的だ。呪術的信仰よりも、現世利益―つまり変性意識状態での快感や啓示―を重視する。
宗教は産業であり、商品である。リターンの得られるかどうかも確定しない商品を購入するような形態の宗教(呪術的信仰)よりも、
やはり現実的なリターン(変性意識状態)を得られる商品を買いたくなるのが現代の資本主義社会に生きる市民の考え方だろう。
このような「現世利益」には法則⑤における「講」としてのメリットも含まれる。

また「変性意識状態は、脳のAという物質がBに作用しているだけの物理的現象」という無神論者も居るだろう。
そのような無神論者はまさに「現象に名前をつけただけで、意味を固定化した気になって安心している」だけの「無明」の最たるものだろう。
脳のAという物質を作ったのは神かも知れない。Bに作用する現象を司るのは神かも知れない。そもそもその現象を観測する能力を創造したのは神かも知れない。
脳のAという物質は、どこから来たか?Bという物質とCという物質で構成される。BとCは、DとEという物質から構成される。DとEは…と遡る。
暫く遡ると、宇宙にたどりつく。次は、そもそも宇宙はどこから来るのか?ビッグバンだ。
ビッグバンはどこから来るのか?(現在の仮説では)特異点だ。じゃあ特異点はどこから?現代科学はここから以前に遡れない。そもそもビッグバンは神が起こしたかもしれない。
若干上記の過程とは違うが、トマス・アクィナスはこのようにして、もの・こと の原因を遡り続ける事で神の存在証明を果たそうとした。

また科学とは「観測できる対象がそのような法則で動いている」という事を証明するだけの行為だ。
空間が三次元である事を我々は証明出来るが、なぜこの世界の空間が三次元になっているについてはわからない。
この辺の、宗教と科学が別の分野である事については池内了「物理学と神」に詳しい。この本の冒頭は全ての日本人にみてほしい。

④宗教への邪道的ニーズへの対応
これは予想だが、恐らくオウム信者の中で「神秘主義的な実践修行を行える環境が整っているから入信した」というケースも多いだろう。
無論、先述のように日本仏教の堕落への反動として入信したようなケースもあるだろう。
単に孤独感から、共同体に依存したくて入信する人も居れば、変身願望の発散を願い入信する人も居る。以前ドキュメンタリーで見たが、夫からのDVから逃れるために入信するような場合もある。
宗教に対するニーズは多様だ。オウム真理教をはじめとするカルト宗教のドキュメンタリーなどにも、ただ単に居場所・依存できる対象を求めて新興宗教を転々とする信者というものがよく登場する。
(私はこれを「ドクターショッピング」になぞらえて「ゴッドショッピング」と呼んでいる。自分に都合のよい医者=神を求めてそれを渉猟する行為をさす。)

横道にそれますが、小澤利夫という人が居る。創価学会で幹部になる→幸福の科学で幹部になる→キリスト教に改宗 という宗教遍歴の人が居る。
その人は、創価時代と幸福時代に折伏(布教して入信させること)した人々を、こんどはキリスト教折伏して回っている。非常に面白い人生を送っている。

また、無人講とか頼母子講とか聞いた事がある人もいるとおもうが、浄土系教団や創価学会は「講」つまり互助会としての機能=現世利益としての需要から、下級労働者層から人気を集めた。
宗教の需要にはそういうものもある。
宗教学者島田裕巳は、都市部に集団就職などで労働に従事していた下層階級が創価学会に吸収されなければ、彼らは革命を試みただろう、とまで言っている。
また、同じように、社会体制のひずみによって市民がアイデンティティ・精神的支柱を失った時も、宗教が伸びる。
敗戦まもない日本では多くの新興宗教が誕生した。これを宗教学的には「神々のラッシュアワー」と呼ぶ。(かっこいい用語だ)
オウム真理教幸福の科学は逆で、バブル期―経済的に急速に豊かになる過程―に飛躍的に信者数を伸ばした。これには地方から都市部に来る人間が増え、彼らが創価学会集団就職と同じくアイデンティティを求めたという側面もあるだろうが、
バブル景気の豊かさが人間の心にひずみをもたらしたという側面も幾らかあるかと思う。

宗教団体は信者数を誇張して自称する事が常なので実際の信者数はわからないが、
島田裕巳「宗教消滅」によれば、幸福の科学の刊行するザ・リバティ2013年10月号にて「大川隆法のどの本を最初に読んだか?」というアンケートの回答には”1980年代の終から90年代のはじめに刊行された本が上位を占めていた”とある。
この数字から”幸福の科学の場合も、統一教会と同様に、信者の中核を占める人間たちは、同じ時期に入信している可能性が高い。1990年前後の時期である。しかも、それ以降は、それほど多くの信者は入信していない。”
とあるので、やはり創価学会統一教会やオウムのようにバブル期に都市部に人が移動した際、アイデンティティやコミュニティとしてのニーズが宗教にはあるのだろう。

また一例だが竹下節子「カルトか宗教か」によれば、外国に留学・出張・移住している日本人が、現地で孤独感に苛まれた際に、現地の日本のカルト宗教(手かざし系が多いそう)に勧誘され、反動で入信してしまう事が多いと紹介されている。

ロシアでは、オウム真理教の信者数が1年で3万人にもなったが、ソ連崩壊直後であったためロシア人の精神的支柱が揺らいで居たことが、爆発的な信者数の増加の要因ともされる。
日本経済はこれから凋落すると盛んにいわれている。

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⑤宗教のもつ現実主義的な側面を強調する。
これはまあ「現実主義的」というか「合理的」「即物的」と表現したほうが妥当かもしれない。
「仏教は宗教ではない。哲学だ」というのは、宗教的に無知な多くの市民の関心を引く事実だろう。これについては冒頭の記事で解説した。
実際にオウム真理教も盛んに「仏教は科学だ」と売り文句をかかげていた。
この場合の「科学」とは「自然科学」だけでなく「人文科学」も含む。つまり「仮定・実証・反証・統計」などの「科学的方法論」という意味だ。
自然科学でいえば、よく量子論と仏教の共通点について麻原は言及していた。
ダライラマも「量子力学と仏教は同じ事を言っている」などと謳う。

エネルギー保存の法則において、物質とエネルギーは作られる事も壊される事もなく変化だけする。
仏教徒はこれに賛同し、この理論を心にまで拡張できると考える。
仏教における心とは、現象の認識ー意識的であれ無意識であれーを意味し、現象認識は生じる事も壊される事もなく、ただ変容する事のみが可能となる。
それゆえ、輪廻転生とは、個人の現象認識が継続し続ける連続性(心相続)の中で単に変容することで、その連続性(心相続)の変容が転生した他の体という物質的土台で起きる事です。”

素粒子物理学者が何かを定義する時は観察者の役割を強調します。例えばある観点から光は物質であり、他の観点からはエネルギーです。
光がどのような現象として存在するかは、数多くの要素に依存し、特にそれを分析する研究者の概念体系に依存します。
それゆえ現象はそれを認知する意識と無関係に自立して存在していません。
仏教では同様の見解あり つまり物事がどう存在するかは、観察者とその概念体系に依存する。
ある状況が解決不可能か否かは観察者、つまりその問題に関わる者による。”
”神経学と仏教とは、物事は依存して生ずる(相互依存の縁起・因果の確実性)と考える。
「私」が決心し実行するのではなく、数多くの因子の非常に複雑な相互関係の結果である。”

若干こじつけっぽい?
ひかりの輪(宗教ではなく宗教教室だが)は、「自然科学と宗教の融合」の可能性については一部否定している(上祐史浩216『宗教と哲学について、科学と非科学について』)。

「宗教=迷信じみた蒙昧」「科学・理性こそ至高」だと考える現代市民にとって、
仏教・イスラム教・キリスト教の持つ高度な理論的性格および科学的方法論で築かれた哲学的側面は、抵抗のないものだろう。

特に日本において、市民が宗教と触れる側面はお賽銭、絵馬、願掛け…などの「呪術的信仰」だけだと言った。
呪術的信仰の象徴である日本神道。仏教のように理論的哲学的な体系を全く持っていない(これについては島田裕巳神道はなぜ教えがないのか」にくわしい)。
日本神話を元にした神道的哲学体系を作ろうとした神道系の宗教家も若干いたが、いずれも大成していない。

日本人は、せっかく近所中に寺があるのに、仏教のもつ理論性に触れていない。
次にヒットする新興宗教においては、宗教的に無知かつ、それゆえ宗教に否定的である市民が抱く「宗教=呪術的信仰」というイメージと全く逆の様相を呈す事が、最も手っ取り早い広告の方法だろう。

多くの哲学者・心理学者は仏教に影響を受けた。
カール・ユングも、「人間の外側に定立する神々への信仰によって救済される宗教性にはそれほど多く関心をはらわなかった。
つまり、ヨーガのような人間の内面の心理操作に向かう宗教性を研究していた」(「ユング心理学密教」より引用)
また西洋哲学と仏教哲学に多くの共通点がある。

西洋哲学でいえば、カントの「物自体」も、仏教の「無明仮説」とよく似ている。私は哲学にすごく疎いのでいい加減な考察だが多分これで合っていると思う。
カントは「人間が物を見る時、自己の中のバイアス(偏見)によって形を変えた物しか見る事ができない。つまり物自体を見る事ができない」と説いた。
この「物自体」は長年、西洋哲学のメインテーマとなってきた。
仏教では西洋哲学の遥か以前に「人間が物を見る時、自己の中の無明(偏見)によって形を変えた物しか見る事ができない。なので瞑想や座学などの修行によってその無明を払拭すると、
”物自体”が存在しない事を知れるし、幸福になる」と説かれた。
「西洋哲学は、仏教が大昔に開いた道を歩いているに過ぎない」とする人もいる(言い過ぎかもしれない)。
仏教が、願掛けとかお賽銭とか呪いのコンテンツではなく、大部分のセクトが理論的なのだという事を知って頂きたい。
また僧侶の南直哉が、仏教における「無明」を「言語世界」と解釈した。言語について哲学したウィトゲンシュタインソシュールと同じような事を言っている。

科学は常に未実証の部分を持つものだ。よって全ての科学は宗教であるとも言える。
「1+1=2」という計算と「朝食を食べる→成績がよくなる」という計算は、前者は疑問の余地がないが後者には疑問の余地がある。
後者が計算しようとしているのは「人間の意図や行為が介在する社会的現象」なので、事実の説明の際には研究者自身の「解釈」が多分に含まれる。
社会学や心理学全般は、よく疑似科学だなどと評されている)
「朝食を食べるから健康になるのではなく、朝食をきちんと摂らせるような家庭はそもそも環境のいい家庭だから、子供の成績がよくて当然」という見方も可能(擬似相関)。
ホンマでっかTV」は、今挙げた擬似相関とか恣意的な解釈が含まれたデータばかり評論家が喋っているので意識してみるとわかりやすいとおもう。

宗教と科学の領域が違うという事は後述する。
また、科学に明るい人間ほど、科学の不完全性を痛感する。遠藤や土谷などの理系エリートが、オウム真理教に入信するに至った動機がそれを如実に象徴している。
オウムに入信したエリートを「お勉強ばかりしていたから、ものを疑う力がなくてオウムに騙された」と寸評している人が居るが、逆の例がいくらでもある。
遠藤は遺伝子研究の際に「人間は本当に遺伝子という物質から開始した物質でしかないのだろうか」と考え詰めた挙句、オウム真理教に答えを求めた。

こんな話がある。個人名を忘れたが、確かどこかのサイトでちゃんと個人名が書かれてたと思う。
欧米のLSDの研究者がインドに行って、宗教修行者にLSDを食わせてみた。
修行者は、LSDが満杯の瓶を研究者の手からひったくり、発狂しても不思議ではない量のLSDを飲み干した。
LSDは普通、摂取してから数十分経過してから効果が現れるが、致死量ギリギリの量を摂取したのですぐに効果が現れた。
その修行者は、常人なら発狂しかねないほどのLSDの効果の中、研究者の目を見て、にやりと笑いつつ平然とこう言い放った。
「私の悟りよりも、少し弱いな」
この件を期に、研究者は宗教研究に身を投じるようになった。

オウムの理系エリートのように、
ものを疑う力が非常に強く、最終的に科学的プロセスで証明できない事象にぶち当たったとき、人は空論に賭ける。南直哉も「賭ける仏教」で同様の事を述べた。
真理に触れる事が怖く、敢えて蒙昧にひたり続けるひとびとこそ、蒙昧という神を信じている。私は挑戦者たる全ての宗教者を尊敬している。
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■余談 LSDオウム真理教
オウム真理教では「キリストのイニシエーション」と称される儀式が行われていた。
遠藤が製造したLSDの紙片を、麻原が口に含む。そしてそれをジュースに吐く。それを、信者が飲む事でトリップする。
井上嘉浩死刑囚の獄中手記によれば、キリストのイニシエーションで一人の信者が摂取するLSDは150マイクログラムである。
で、このイニシエーションは、一度に複数人の信者に実施されていた。
仮に5人だとしても、麻原はキリストのイニシエーションに際して5人分のLSDを一挙に口に含む=摂取する事になる。
量として150*5で750マイクログラムだ。私の経験則から言えば常人なら(一時的に)発狂する。
というか私は合法LSDを150ないし100マイクログラム摂取しただけで、オナニー中にバッドトリップに入って泣いてしまう事が三回あったので、
750マイクログラム摂取すれば、人間がどんなに頑張っても、薬効が切れるまでは外面的に平常心を取り繕う事すらできない。しかもそれ程の量ならば、薬効が切れるまでかなりの時間がかかる。
以前聴いた森達也のラジオに元オウム出家信者がこんなメールをしていた。
「麻原は稀代の役者だ。四六時中信者に囲まれつつも、疑念を抱かせなかった*」
これほど大量のLSDを摂取した上で、喚き散らしたり取り乱さずに平然を装っていたならば、それこそまさに麻原は超人だという話になる。
ひかりの輪代表の上祐氏に、一度の被施術者の人数などについて詳しく質問するメールを送ったが返信はなかった。
上祐史浩オウム事件17年目の告白」や元信者の発言などでは、まあまあ疑念を抱かせるようなタイミングがあったとの旨が書かれている。


たまに「キリストのイニシエーション」が洗脳行為だとする人がいるが、修行の実際の内容は
LSDを摂取し、小部屋に入る。小部屋には麻原のポスターがある場合もある」「ヘッドホンで麻原の説法・マントラを聴く。聴かない場合もある」これだけだ。
LSDなどの薬物を使って偽の記憶を作ったり人格を破壊するような事も実際に可能だ。だがそのような行為が行われた例は、確かに存在したが、ごく一部だ。
LSDの効力を麻原の超能力だと偽っていた事はある種の洗脳と呼べるだろう。

LSDで殺されかけた信者が居る。先程も名前が出てきた、井上嘉浩死刑囚(アーナンダ正悟師)だ。
井上嘉浩死刑囚(アーナンダ正悟師)は、麻原に嫌われていたオウム幹部だ。
教団の行った非合法行為(裏ワーク)の大部分に関与し、麻原に信頼されていたが、一度戒律を破って教団内で恋愛をしてしまって以後、
麻原から井上への猜疑心はどんどん大きくなっていった。

井上の逮捕後の手記によれば、ある日井上は、麻原に1mgのLSDを飲むよう強要された。
LSDの1回の摂取量は普通0.1~0.15mg(100~150マイクログラム)なので、普通の摂取の10倍の量!
井上はすぐに吐き出して半日気絶したそうだが、吐き出したくらいで、一旦嚥下した1mgのlsdの薬効が消えるとは思えない。
超高濃度のLSDは、経口摂取でなくとも、指で触れるだけでトリップするものだ。
LSD開発者アルバート・ホフマン博士や、LSD密造工場に家宅捜索した東欧の警察官なんかも、高濃度LSDに誤って指で触れただけで長時間トリップしてしまったほどだ。
(東欧の警官については、彼を採り上げたドキュメンタリー番組のタイトルを忘れてしまったため詳細はわからない)
また、LSDによる人格変容と聞いて思い出すのが「MKウルトラ作戦」だろう。文書の大部分が破棄されて真相はほとんど迷宮入りだそうな。

youtubeにアップされている、オウム報道番組の動画には「LSD入りのジュースには粘り気があった」とする証言があるが、LSDに粘り気はない。
また「数分で効果が出た」という証言もあるが、150マイクログラム程度のLSDなら40分以上経過しないと効果が出ないと思う。
そもそも土谷と遠藤はLSDの原材料の輸入に失敗したので、仕方なくエルゴタミンとエフェドリンを主原料にする独自製法でLSDを製造していた。
なのでその主原料だと「LSD25」という物質になるのか?と、化学が全くわからないなりに疑問を感じたが、
遠藤がLSD覚せい剤、メスカリン密造で起訴されているのを見るに、少なくとも法規制されているLSD系物質は製造できたのだろう。

強制捜査オウム真理教施設から発見されたLSDの総量は115g。1回100マイクログラムでも1150回トリップできる。
私は合法LSD摂取時は1回50マイクログラムにケチるので、同様に1回50マイクログラムにケチって摂取すると2300回トリップできる。

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⑥ 宗教多元主義相対主義
イスラム教の異教徒への迫害などがニュースで取り沙汰され、日本人は「宗教は異教を排斥するもの」というイメージを持ちがちではないだろうか。
実際に、日本最大の新興宗教である創価学会をはじめとした日蓮系教団の攻撃性もそのイメージを助長している。
やはりこれからの宗教は、そういう事情も踏まえて、宗教多元主義の方が人気が出る。
宗教多元主義とは、インドの思想家・ヴィヴェーカーナンダの言葉を借りれば「宗教の教義上の違いは矛盾ではなく、一つの真理に対する異なったアプローチである」とする思想。

「一つの教義に真理は収まりきらない。多様な宗教の全体が真理である。真理とは狭量なものではなく、ひたすら広い。
それは仏教もキリスト教イスラム教もヒンドゥー教もすべてを含む彩り豊かな全体としての神の啓示である。」つまり、「真理とは相対的なものである」という事だ。

人によって真理は違う。人によって必要な神は違う。キリスト教徒にとってはヤハウェが神で、イスラム教徒にとってはアッラーが神で、オウム信者にとっては麻原が神だ。
冒頭の記事でも述べたが「神」とは相対的なものだ。

また、キリスト教徒で宗教哲学者のジョンヒックは「あらゆる宗教が唯一の神的実存のまわりをまわる」とするコペルニクス的転回を主張した。
「太陽は神であり、キリスト教などの宗教は太陽の周囲をまわる諸宗教である」
 ヒックは、宗教的な真理を、文化及び個々の人間に対して相対的なものとして見るというものとした。
 様々な宗教は、それぞれがその文化や伝統などに基づいた形での「真実在」への適切な応答だとみなす。

文頭の記事で詳しく述べたが、オウム真理教に対する批判は、主に麻原の聖性を批判する事に終始している。愚民の行為だ。
youtubeの「オウム道場巡り」を見て頂ければわかるが、これは単なる挑発に過ぎない。こんな事を大マスコミがしていたのか?

トランスパーソナル心理学入門」において、トランスパーソナル心理学専門家・諸富祥彦は
「それを見る人間から切り離された、それ自体で独立した真理なんてものはない。その背後には、必ずそれを見ている人間が居るはずで、
 したがって、見られるもの、知られるものは必ず、それを見る人間の視野、観点に成約されている、
 誰にとっても当てはまる真理なんてない、というポストモダン相対主義には、真理へのこだわりから人間を解き放ち、個々人の多様性を多様性として、あるがままに肯定する健全さがあります」
と表現している。多元主義のスタンスを取る宗教は平和的だし、宗教同士の抗争に恐怖感を抱く市民にとっては抵抗のないものだろう。

また、特定の宗教に属さず、ただ単に、禅のような神秘主義的な行法を教えるセミナーとしての側面を持てば人気が出るかも知れない。さっきも引用したが
禅などの東洋思想について研究しているジョン・フィリップス博士が「禅と宗教についての十五章」に寄せたことばがわかりやすい。
「人類がこれまでの割拠状態から”一つの世界”の状態に向かって急速に進んでいる時、人類の宗教もまた地方性を脱して”一つの世界”の宗教にならなければなりません。
そして、禅以外にはほんとうの世界的宗教はないのです。もっともほかの多くの宗教も世界的宗教であると主張したには違いありませんが、
ほかの宗教はどれも時と場所との地方性を持っています。つまりそれらは特殊の民族に、特殊の時代と特殊の地方に役立ったものであって、全人類・全衆生に役立ったのではありません。
それはみなある形式またはある信条を絶対的なものとみようとするあやまちを犯しました。なぜなら、これらの形式や信条は絶対的なものではなくして、
歴史的に成約されたものであるか、もしくは特殊な地理的、社会的経済的環境の所産であったからです。現代人の目は無限を眺め、さえぎるものなくつねに拡大しつつある宇宙を眺めているのですから、
現代人の必要とする宗教もまたかれらの宇宙のように、その中心をいたるところにもち、その周辺とてはどこにもないものでなくてはなりません。
人間が所謂宇宙時代に入り、探求と発見の全然新奇な時代に入るとともに、特殊な地方における特殊な事件に立ったこれまでの宗教は、
人間活動の広まっていく範囲内においては、ますます適切でなく感ぜられるでしょう。禅が西洋人を惹きつける理由は、なにはともあれ、その絶対的普遍性にあります。
禅はなんら固定した概念と結びつかないので、信条化した概念から必然的に起こる地方性を持っていません。
禅は歴史に立脚せず、地上のどのような地点にも立脚していません。禅の意義はどのような一連の形式にも、どのような時代の事件にも制限されません。
また、禅は決まった未来的展望にも制限されません。ですから、それは絶対的普遍性をもち、人生の実相に関心を持つあらゆる国の人に向かって語る正当な資格を持つものです」
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⑦現実主義的解釈
「即物的解釈」と言ってもいいだろう。

「神話」というものがあるが、全ての宗教信者が、荒唐無稽な絵空事である神話を鵜呑みにする=原理主義的なわけではない。
神話を「メタファー(何らかの暗喩)」や「アレゴリー(有益な寓話・譬え話)」として、現実的に解釈する者も居る。

仏教僧侶にも、仏教の神話的側面(輪廻転生地獄天国カルマ)を全く字義通りには信じず、ただ仏教の持つ哲学的側面のみを信仰している者が居る。小池龍之介がそうだろう。
また宮崎哲弥も同様の信仰スタンスを取っており、自身を「仏教徒」ではなく「仏教者」としている。先述の通り「仏教とは哲学である」と解釈しての信仰の典型例だ。

無学な下層階級に対しては、特に科学による万能感と倫理教育が欠落していた大昔においては、このような絵空事(方便)によって、時に恐怖、時に幸福を煽りたて、思想形成を促す必要があった。
それが暴走すれば、部落差別の起源となった「ケガレ」思想や(神道のケガレ思想に崇高な含意があったかは知らない)、豚肉食への迫害などが発生する。

モーセが海を割った行為は「実際は橋みたいなものがあって、それの暗喩」など、後世の科学者達が解釈に頭を悩ませたが、これは「現実主義的解釈」ではなく「合理化」だ。
「当時の人種対立の暗喩」とか解釈するのが即物的解釈だろう。

神話を真実として解釈するのではなく、全て「方便」「メタファー」「アレゴリー」として解釈してしまえば、現実主義的な現代市民には抵抗のない教義を形成できるだろう。
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⑧人文・自然科学の包括
先述のように、科学(物理学などの理系科学)は無神論を権威付けるものではない。
以下は「物理学と神」からの引用である。
ニュートンは、木から落ちる林檎の運動と太陽をめぐる惑星の運動は同じ万有引力によって引き起こされており、その力の強さは距離の二乗に反比例することを明らかにした。
このとき「万有引力が距離の二乗に反比例していれば、これらの運動が正確に再現できることを証明した」のであって、「なぜ万有引力の法則が距離の二乗則になっているのか、なぜ三乗則でないのか」を明らかにしたわけではない。
 つまり、科学者は、「法則がなぜそのようになるのか」という問いに答えようとしているわけではなく、「法則がそのようになっていることを証明しようとしている」だけである。
  なぜ空間は三次元なのか、なぜ光の速さは秒速で三十万キロメートルなのか、なぜ電子の質量は510ボルトなのか、などなどの基本的な問い掛けには答えることができない。
   「そうなっている」としか言えないのだ あるいは「神がそうした」のだと信じ、自然の存在そのものや自然がしたがっている法則を神の証と考える科学者もいる。
「無論、自然科学の最終目的は「「なぜ」に答えることだとする無神論者もいる」
「しかし「なぜ」に回答できない科学者は神と完全に手を切られない 」

ビッグバン仮説が(正しいなら)無神論の決定的証拠だとする人が居ますが、ビッグバンが否定したのは、キリスト教的な創造論および、ビッグバンに矛盾する、明確な創造神話を持つ宗教だけだ。
ビッグバンが神の御技だとする宗教思想を論破する事は出来ない。
というかそもそもビッグバン仮説自体、キリスト教の牧師が最初に提唱し、当時の科学界に「あまりにも創世記に似ていて、宗教的でおとぎ話じみている」と糾弾されたものだった。
個人的には、ビッグバンから空間と時間が開始し、あなたが今スマホやPCでこのブログにアクセスしてこの文章を読んでいるというこの瞬間までの、長い時間の中での様々な奇跡的な連鎖。
これら全てが単なる偶然・偶発の集合体だろうか。上位意志が存在しなければ成し得ないものではないだろうか。逆にビッグバン仮説は、上位意志の存在を証明しているものですらあると感じる。
また、これは実際のシミュレーションにおいて解説するが、インテリジェントデザイントマス・アクィナスの「神の存在証明」を用いればビッグバンすら神の行為であると解釈できる。

さっきも述べたが、科学はまだまだ未発達だ。朝飯が健康にいいか悪いかすらわかっていない。怪しい医学書も毎年大量に出ている。相反する結論の、理系学問の論文も大量に出ている。
オウムの遠藤のように、科学に詳しい人間ほど、科学の未熟さを痛感するのではないか。科学に詳しくない市民ほど、科学を論拠にして無神「論」を唱えるのではないか。
あるノーベル賞受賞者は、DNAらせん構造を発見した瞬間に神の実在を確信した。数学者ポール・エルデシュは数学を深く学ぶほど、信仰を深めた。
ノーベル賞受賞者の理系分野科学者の中で、無神論者は5割だった。残りの5割は神の存在を信じている。
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以上の8点を要約すると
伝統宗教の権威を笠に着て
・宗教の持つ現実的側面を強調し
・実際に心身に影響の出るような修行法を奨励し
宗教多元主義
・現実主義的解釈による即物的信仰を行い
・理系科学との不対立を喧伝する
このような教団が次にヒットする事になる。
どうも「ひかりの輪」「生長の家」と似ている。
というかこれだと「全ての宗教はほぼメタファーと方便で構成された実践哲学だ。人間は神の存在しか知れず、どのような神であるかは知れない」となる。単なる理神論・有神論だ。
次の記事では、もっと詳細なところまで教義をつくります。
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*冒頭記事・本記事の参考文献とおすすめ書籍
野中亮「分節する言説:江川紹子のオウム論をめぐって」 … 江川紹子がオウム批判の際に「麻原の俗っぽさ」という犯罪と無関係な部分を強調したがる点について。
池内了「物理学と神」 … 科学と宗教が全く違う領域のものである事について。「はじめに」を全擬似無神論者に百回音読していただきたい。
白取春彦「この世に宗教は存在しない」 … 「メタファー」「アレゴリー」「方便」について詳細に書かれているので全市民必読かと思う。
村井幸三「お坊さんが困る仏教の話」 … 批判から仏教を学ぶ書。特に、仏舎利についての記述を批判する人がいるが、大部分の批判の論拠が大乗経典だ。

麻原彰晃「秘密の超能力開発法」 … オウム真理教の具体的修行法について。
”「絶対幸福への道」 … オウム真理教流の「無明理論」にはじまる仏教的精神分析について。
”「イニシエーション」 … 「麻原は死後に巨人軍のピッチャーになる」「修行者は性欲がわいたら尊師を思い浮かべて性欲を滅しよう」という修行マニュアル書
”「タターガタ・アビダンマ第一誦本」 … オウム真理教が実在物として地獄天国六道などを扱っている事が明確にあらわれている。
ツルティム・ケサン、正木晃「増補・チベット密教
小室直樹「日本人のための宗教原論」
島田裕巳「宗教消滅」「創価学会」「神道はなぜ教えがないのか」
森達也「A」「A2」
南直哉「賭ける仏教」
橋爪大三郎「世界がわかる宗教社会学入門」
諸富祥彦「トランスパーソナル心理学入門」
三枝充よし「仏教入門」
田村芳朗「日本仏教史入門」
竹下節子「カルトか宗教か」
岸良範・山口豊ユング心理学密教
藤井明「インド初期密教と他宗教との関わり ―特に大自在天の記述を中心にして―」
大塚伸夫「インド初期密教成立過程の研究」
高島淳「lll.「宗教体験」としてのオウム真理教
岩田文昭「宗教研究の視点―オウム真理教宗教学者―」 …中沢新一島田裕巳の、オウムとの関わり方の問題点について。
佐藤幸治「禅のすすめ」 … 禅の教条主義否定する事について詳しく書かれている。有田芳生「あの子がオウムに!」 … オウム幹部の入信前・後のゴシップについて色々書かれている。上祐の入信理由が「怪我のリハビリにヨガを選んだ」となっているが、「オウム事件 17年目の告白」で上祐本人の弁とは異なる。
上祐史浩オウム事件 17年目の告白」 … 上祐が登場した「そこまで言って委員会」にて、この本になぜか収録が中止された原稿の内容がリークされた。
八木誠一「禅とイエス・キリスト」 … 難解。読むのに苦労した。
中沢新一「虹の階梯」 … 「オウム信者の5分の1が読んだ」と中沢が語る。チベット密教の行者の法話の口述筆記をまとめた本。「中沢自身のバイアスがかかっている文」と、岩田文昭は評する。
立川武蔵「マンダラ瞑想法」 … 瞑想によるトランス状態について、憑依体質の著者が様々な行者や聖地で修行をして調査している。
小林よしのり「オウム的!」 … ごみ。「対談者と、お互いのギャグセンスを発揮できた」という気色悪い冒頭の漫画は必見。
荒井献「イエスとその時代」 … 「禅とイエスキリスト」において「最下層にのみ奇蹟伝承がなされた」という考察が批判されている。
松長有慶「密教

 

 

 

 

 

 

 

宗教基礎知識-仏典の99%は偽物!?-


これから宗教の教義の変化の原因、「メタファー」「方便」など宗教について考える際に必須の概念について簡単に説明します。

もくじ
●葬式仏教
●異なる社会倫理との接触―セックス・スカトロ仏教―
●無教養者への迎合―仏が異教の神をボコボコにして改宗させる神話―
●メタファーの読み間違い―イスラム教の豚肉禁忌―
●教義の偽造―仏教教典は99%偽物―
●翻訳で変質する教義

 


●葬式仏教
「現在の日本仏教の堕落」とは「葬式仏教」的な方向性の堕落と、二つ目に「教義劣化(?)」という方向性の堕落があります。
宗教学者島田裕巳がよく本を出して批判している、日本仏教にしかない「戒名」「葬式(料)」などの集金システムが、前者の「葬式仏教」的な日本仏教の堕落を象徴する例として有名です。
徳川のキリスト教弾圧(踏み絵・改宗強制)は、日本史上で仏教が、特に浄土系宗派や法華系宗派が起こした一揆のような反乱の再来を恐れてのことです。
幕府は、日本人全員を各寺院の檀家になる事を義務付けました。それにより、キリシタン日蓮宗不受不施派のような反動体質の宗教の信者をあぶり出す一定の効果がありました。
檀家になるという事は、葬式も仏教式になるわけで、キリストの絵を踏む事すら拒否するような敬虔なキリシタンには耐え難いものでしょう。
またこれには反動体質の宗教の信者をあぶり出す以外にも、寺院の権威=求心力を低下させ、かつての一揆のような反動を防止する目的がありました。というのも、
檀家になった証明書は結婚・関所手形などの用途があり、寺の権力が増し、また葬儀などにより財力も増しました。その分庶民への還元を行わなかった寺院は、求心力を失うばかりでした。
徳川幕府の仏教権威失墜戦略の効果は、(原始仏教回帰を唱え既製仏教批判をする)オウム真理教が人気を集めたように、現代まで続いています。
また、寺院は廃仏毀釈による寺領没収、そして戦後の農地改革により、土地を使っての営利行為を出来なくなり、いよいよ葬儀などの儀式でしかお金を稼げなくなり、ますます「葬式仏教」化していきます。
オウム真理教は「初期仏教」への回帰を唱え、(葬式仏教という語句が一般的になるほど)堕落した日本仏教を嫌悪する層の人気を得ました。(オウムは葬式仏教よりも利潤追求をしていましたが)

以上の参考文献…島田裕巳「葬式は、いらない」 村井幸三「お坊さんが困る仏教の話」
ちなみに、日本仏教では伝統的に、出家している男児を、先輩僧侶が慰安夫にする行為も行われていました。これについては松尾剛次「破戒と男色の仏教史」に詳しく書かれています
(聖職者同士の男色行為は日本の仏教だけの行為ではないですが)。

そして二つ目の「教義劣化(?)」という方向性の堕落。
実は宗教の教義は、時間経過や、異なる文化圏に伝わる事により大幅に変化します。上述の「葬式」「戒名」ビジネスで莫大な収益を上げるのは日本の僧侶だけですが、
日本に仏教が流伝した初期はこのようなビジネスはありませんでした。無論、釈迦もこんな事はしなかったし、こんなビジネスをしろという教義も作っていません。
宗教の教義は、仏教に限らずどんどん変化していくものです。そもそも仏教には天国も地獄も無いようなものだし、キリスト教にも最初は天国はありませんでした。
後世に、あるときは為政者が市民支配のために、あるときは僧侶がその時代・情勢・文化圏によって変化する悩みに対応するために、逐一教義を創作しました。
宗教の教義が変化する原因を解説します。
●異なる社会倫理との接触―セックス・スカトロ仏教―
仏教には「密教」というセクトがあります。端的に言えば、神秘体験や実践修行を重視するセクトです。時代変化とともに変化を遂げており、主に「前期」「中期」「後期」と分類されます。
前期密教…まじないじみた迷信的信仰です。つまり、賽銭とか願掛けみたいな呪術=まじないを中心とした信仰です。仏教の特色である高度な論理性・哲学性・現実主義性がありませんでした。
中期密教…日本に伝わっているセクトです。天台宗真言宗が有名です。
後期密教…セックスや糞食など、過激な修行法を持つセクトです。現在はチベット及びその周辺国で信仰されています。オウム真理教チベット密教が有名です。

「後期密教」は、空海が中国に渡った200年後、インドから中国へ伝わりました。
「じゃあ空海が200年遅く中国留学していたら、日本のお坊さんは今頃、後期密教に則って寺の中でウンコ食ってセックスしていたか?」否、違います。
インドと比較して、当時の中国は道教儒教大乗仏教・中期密教などが地盤を築いており、既に社会及びそれに付随する社会倫理が発達していました。過激な修行法が輸入される余地はありません。
また、当時の仏教では、禅系の宗派を除き、僧侶は労働を禁止されています。パトロンからのお布施を募る行為「乞食(こつじき)」によってのみ生活をしなければなりません。
そうなってくると、政府からの庇護が重要視されます。
中華人民共和国北朝鮮では「教条主義的・反動的である」として仏教は排斥されていますが、当時も、中国の中央集権的な政治構造に擦り寄るため、中期密教僧侶は幾つかの教義を捻じ曲げました。
これも政府からの庇護を得るためであり、またこのような行為は中国中期密教僧だけでなく、インド前期密教僧もしていました。(松長有慶「密教」、ツルティム・ケサン、正木晃「増補・チベット密教」)

で、セックス・スカトロ修行について。
11世紀のチベット国内での仏教の流行から現代に至るまで、チベットではずっと後期密教(先述の、過激な修行法を持つ密教)が主流派だった。
密教の「密」とは、教えを積極的に広めない。という意味である。なぜ広めないか?先鋭的な修行法(つまり非倫理的であったり、危険な修行法)であるため、
むやみに公開すると、社会からの反発・批判であったり、知識のない素人が実践して心身に問題を持つ(ヨガや座禅でいう「魔境」「クンダリニー症候群」。
オウムの新実智光はこの「魔境」によって、わざと自動車事故を起こしたりするなど精神的に不安定になっていた。)恐れがあるためだ。

オウム真理教が教えの軸にしていたのはチベット密教ニンマ派の教義。仏や神がたくさん乗った木をイメージする観想法、夢を操作するヨガ、などの修行法がある。
現在のチベット仏教のトップ、ダライラマ14世は、初代ダライラマ1世の生まれ変わりです。ダライラマは生まれ変わりで世襲します。
ダライラマ13世は死ぬ間際「こういう形の地形・家が見える」と言い遺しました。
で、実際に捜索隊がそれに似た場所を探し、そこに生まれ変わりっぽい子供が居たので、チベット政府によって13世の生まれ変わりとして認定され、ダライラマ14世になりました。
14世は「生まれ変わり世襲制度」の廃止を唱えて中国政府と対立しました。ここら辺のトラブルは面白いです。

で、ダライラマ1世の師匠は、ゲルク派の開祖・ツォンカパでした。ツォンカパは当時チベット仏教で流行していた、性的ヨーガなどの先鋭的修行法に対し、十分な倫理観を持って取り組まない僧侶が多く、
風紀が堕落していた現状に喝を入れる目的で、糞尿食や性的ヨーガなどの先鋭的修行法を大々的に禁じました(しかし実際は、現代に至っても禁止は徹底されていない)。
だがツォンカパさんが性的ヨーガなどの先鋭的修行方法の効能を認めなかった訳ではない、というかツォンカパさん自身が性的ヨーガの研究・実践・改良等に専念していた。(立川武蔵「マンダラ瞑想法」)

詳しい実践方法についてはテクストを読んだ事がないんですが、ネットで調べるとすぐ出てくる。恐らくヒットするであろうRAPTというブロガーのサイトは嘘だらけなので冗談半分によむといいです。
●無教養者への迎合―仏が異教の神をボコボコにして改宗させる神話―
宗教には「メタファー」「アレゴリー」「方便」という三つの用語があります。まず、この三つの用語を理解しないと、宗教は「一ミリも」理解できません。

ツルティム・ケサン、正木晃「増補・チベット密教」によれば、
5世紀までのインドでは、仏教とヒンドゥー教が二大勢力として均衡を保っていた。だが5世紀を越した所で、突如ヒンドゥー教の信者数が優勢になった。なぜか?
仏教は知的階層が対象だったため都市型宗教となり、僧院中心の活動に終始し、農村や一般庶民などの無学な階層への布教に熱心ではなかった。

だが5世紀以降、異民族の侵入と東西交易の退潮で都市は衰微、僧院の後援者である大商人も没落。経済と政治の中心が、ヒンドゥーが従来から支持基盤としてきた農村へ移り、仏教は衰退した。
仏教は現世の問題には冷淡であり、現世を肯定的に捉えるヒンドゥーとは対照的に、激変する現実に対し対応能力を欠きました。
戦乱の世で虚無主義的な事を唱える仏教は人気を集められない。宗教は精神安定剤です。社会情勢に対応して教義を再デザインしないと求心力を失います。
苛烈な現実に対応策を打ち出せない仏教は人々の支持基盤を失いました。
仏教は支持を巻き返すべく、教義を再デザインしました。しかし「哲学性・論理性を高める」という方法で人気を得ようとしたのではありません。
庶民は難しい事は理解できないからです。再デザインの方法とはずばり、庶民に人気だったヒンドゥー教の儀礼や神々を「ヒンドゥーの神は仏教に帰依した」として仏教に取り込む事です(!)。
宗教が大衆からの人気を得ようとする場合、殆どの場合が「論理性を高める」事で人気を得るのではなく、呪術的性格を強めるなどの方法で人気を得ます。

藤井明「インド初期密教と他宗教との関わり ―特に大自在天の記述を中心にして―」によれば
前期密教の僧侶が書いた「初会混合頂経」というテクストには、こんな神話が描かれました。
「ある日、金剛手(仏教の神)に従う事を拒否する大自在天ヒンドゥー教シヴァ神)に対し金剛手が呪文を唱えると、大自在天は死んだ。
すると金剛手は呪文を唱えて大自在天を蘇生させ、踏みつける。釈迦が悲心をもってまじないを誦し、大自在天の苦を鎮めると、大自在天は金剛手の足に触れたことで解脱門に入る。そして如来になる。」

要約すれば、「異教の神を神話に登場させてボコボコにし、自分の宗教に改宗させました。だから異教徒もその神と一緒にウチに来てね」という内容。
異教の神をボコる描写に目が行くが、当然のように釈迦が魔法を使っている事も注目すべきです。

冒頭で述べた「方便」、これは「無教養な人の関心を惹くための嘘」です。今挙げた神をボコボコにする神話も方便です。
小難しい理論を並べ立てても、現代日本みたいに、市民が一定の教育を受けられて、文字が読めて、小難しい理論を読解できるのが当然という社会は、世界史上ほとんどありません。
現代の世界でも少数派ではないでしょうか。アフリカなんかを見ればそうでしょう。
信仰すれば天国行き、のような都合のいいわかりやすい宗教を庶民は求めます。浄土真宗が日本一の檀家数誇っている。
荒井献「イエスとその時代」によれば、奇跡物語伝承(※方便のようなもの)は最下層に、言葉伝承(※論理的な側面の布教)は中間層にのみ分布したそうです。

ですが、下層階級のみならず、しばしば上流階級も「方便的=呪術的信仰」を求める事があります。
日本の貴族は、仏教が伝わってからは「座学・勉強をしなくても念仏だけ唱えとけば天国行きの浄土宗を信じよう」「呪術だけで幸せになれる真言宗天台宗を信じよう」みたいな感じで、
仏教の理論的側面ではなく、呪術的側面ばかりに気を惹かれました。当初の真言・天台の僧も、本当は貴族に仏教の論理性を知って欲しかったでしょうが、人気取りのために呪術ばっかりしていました。

上述の異教の神ボコボコ神話で当然のように釈迦が魔法を使っているのも、同様に、無教養者にとっては超能力が魅力的に映るため、そこに漬け込んだ「方便」です。
大川隆法は「自身と同じく、釈迦は神通力を使えた」と言っていますが、むろん宗教史を学べば、釈迦の神通力が単なる無教養な人への人気集め=方便だという事がわかる。
ただ「大川隆法も、釈迦の神通力を創作した僧のように、方便として超能力を自称している」という見方もできます。
つまり大川隆法が「幸福の科学を信じる事で幸せになれる人が居るから、一旦超能力という方便で注目を集める」という崇高な意図を持っていないとは言い切れません。

方便は悪い事ではありません。たとえば浄土宗は、それまで上流階級しか相手にしなかった仏教界に対抗し、下層階級へ布教をしました。
農民などの下層階級は時間も金も学もないから哲学的な事は考えられないので、浄土宗僧は「ただ単に念仏唱えとけば極楽に行けるよ」という嘘を吹き込んで精神安定を与えました。
こういう方便でどんどん宗教の教義は変質していきます。現代日本人が「全ての仏教の宗派には天国がある」と勘違いしているのも、この方便が原因です。

釈迦は「イカダのたとえ」をしました。「イカダは川を渡る時に必要だが、陸に着いて、渡り終われば捨てればいい」
この書き方における「イカダ」は「方便」の「メタファー」ですね。

アレゴリー」とは「寓話」です。これは「メタファーによって構成される物語」という意味です。コーランも聖書も「アレゴリー」です。ほとんどの文学や物語も「アレゴリー」でしょう。
たとえばジョーオーウェルの「1984年」は単なるディストピアSFではなく、全体主義を批判する意味を持った作品です。
作中の異様な全体主義社会は、当時の社会情勢を風刺したものです。アレゴリーです。

ここからは私の宗教観になりますが、信じている宗教が嘘まみれの偽神話だとしても、信じる事で精神安定を得られるのならば問題ないと考えます。
福田雅章が言ったように、カルト信者が一千万円の壺を買わされていたとしても、買った人がプラシーボ効果的に幸福を感じられればいいのです。
「”正しい”と実証できないものを”正しい”と自己暗示して信じ、精神安定を得る」という行為は、無宗教者でもやっているのではないでしょうか?

信者にとって真実なら、それは真実です。オウム信者の価値観=宇宙では、麻原彰晃の神話が正しいものとして機能している。
イスラム教徒の宇宙にはアッラーがいるし、クリスチャンの宇宙では聖書が真実です。信じたあとに、それと同期して「神」が発生するのです。
よく「麻原彰晃は神じゃないから信じるな!」と言いますが、神とは相対的なものです。人によって必要な神は違う。
イスラム教の自爆テロ犯に「アッラーは神じゃないから殉死しても天国に行けない。だから自爆テロをするな。」と、議員や芸能人が口にすれば大バッシングでしょう。
天皇ローマ法王ダライラマも、ウチの宗教こそ正しいんだ、とは言いません。人によって神は違うのです。

●メタファーの読み間違いーイスラム教の豚肉禁忌ー
宗教について考える際に必須の概念である「メタファー」「アレゴリー」「方便」について詳しく解説されたのが白取春彦「この世に宗教は存在しない」です。
著者の宗教観やメタファーの解釈が若干押し付けがましいですが入門書には最適でしょう。
「メタファー」といえば「響け!ユーフォニアムの楽器は全部チンポのメタファー」理論が一時期ネットを賑わせましたね。

宗教の教典は、メタファーが非常に多い。なぜならば、白取が言うには「当時は、概念語が少なかった」事が原因。
加えて「感覚言語」と「理性言語」というものがあり、詩や文学もそうですが、教典のように人々の心を動かす文書は抽象的な語で綴られます。
で、抽象的な文になると、メタファーも多くなる。メタファーの解釈の方法によっては、教義の曲解が発生する。
イスラム教にもキリスト教にも「このメタファーはこんな意味だぞ」と解釈を指導する宗教者がいますが、哲学者フーコーによれば、そのような宗教者の解釈すら、時代風潮や政治動向に左右されます。
教典内の感性言語を字義通りに解釈すると原理主義が発生します。
「アダムとイブが天国で林檎を食べ、その後”恥”の概念を覚えて局部を隠すようになった。」この「林檎を食べ」はセックスのメタファーだとされます。
コーランの豚肉忌避も、当時の中東の気候では豚の飼育は難しく、また豚肉は不衛生なので、豚は飼育せず食さないように。という旨を明文化しただけだとされます。いわば釈迦のいう「イカダ」です。
現代になって、我々は既に安全に豚肉を保管する「衛生技術」という陸に着きましたが、一部のイスラム教徒は未だにこの「イカダ」を「メタファー」として解釈しません。
キリスト教にも天国はありません。聖書にある「神の国」は、人間の平穏な心理状態のメタファーです。天国ではない。
モーゼが海を割る描写も、「当時の民族対立のメタファー」「新天地を切り開く事の重要性を表したメタファー」など解釈は割れています。史実として扱う人もいます。
仏教の輪廻転生・地獄天国も、「人間の心の中の状態」のメタファーのような部分がありますが、浄土系宗派やオウム真理教はこれを実在物として扱います。
私はオウム真理教の輪廻転生はメタファーとして解釈する余地があるのではないかと一時考えましたが麻原彰晃「タターガタ・アビダンマ第一誦本」にて、えらく詳細にあの世について描写されているので考えを改めました。
メタファーの読み間違い、あるいは意図的な読み間違いが、どんどん教義を変質させます。

●教義の偽造―仏教教典は99%偽物―
先ほど「あるときは為政者が市民支配のために、あるときは僧侶がその時代・情勢・文化圏によって変化する悩みに対応するために、逐一教義を創作しました。」と述べました。
その時代・情勢・文化圏によって必要な生活習慣や思想は異なります。高度な資本主義・多民族社会のアメリカにジャイナ教は適しませんし、アフリカの少数部族に武士道は適さないでしょう。
私が述べた「人によって必要な神は違う」という思想の延長線上に、この事実があります。

禅仏教のシンパの科学者J・フィリップス博士の発言を佐藤幸治「禅のすすめ」から引用します。
”人類がこれまでの割拠状態から”一つの世界”の状態に向かって急速に進んでいる時、人類の宗教もまた地方性を脱して”一つの世界”の宗教にならなければなりません。
そして、善以外にはほんとうの世界的宗教はないのです。もっともほかの多くの宗教も世界的宗教であると主張したには違いありませんが、
ほかの宗教はどれも時と場所との地方性を持っています。つまりそれらは特殊の民族に、特殊の時代と特殊の地方に役立ったものであって、全人類・全衆生に役立ったのではありません。
それはみなある形式またはある信条を絶対的なものとみようとするあやまちを犯しました。なぜなら、これらの形式や信条は絶対的なものではなくして、
歴史的に成約されたものであるか、もしくは特殊な地理的、社会的経済的環境の所産であったからです。現代人の目は無限を眺め、さえぎるものなくつねに拡大しつつある宇宙を眺めているのですから、
現代人の必要とする宗教もまたかれらの宇宙のように、その中心をいたるところにもち、その周辺とてはどこにもないものでなくてはなりません。
-人間が所謂宇宙時代に入り、探求と発見の全然新奇な時代に入るとともに、特殊な地方における特殊な事件に立ったこれまでの宗教は、
人間活動の広まっていく範囲内においては、ますます適切でなく感ぜられるでしょう。禅が西洋人を惹きつける理由は、なにはともあれ、その絶対的普遍性にあります。
禅はなんら固定した概念と結びつかないので、信条化した概念から必然的に起こる地方性を持っていません。
禅は歴史に立脚せず、地上のどのような地点にも立脚していません。禅の意義はどのような一連の形式にも、どのような時代の事件にも制限されません。
また、禅は決まった未来的展望にも制限されません。ですから、それは絶対的普遍性をもち、人生の実相に関心を持つあらゆる国の人に向かって語る正当な資格を持つものです。”

時代・情勢・文化圏によって、人間の悩みの種類は異なります。
血の池地獄」は、中国で偽造された教典(偽経)に描かれた、偽物の地獄です。
当時の中国の民間信仰に、「女性は出産で流血するから、その血の穢れによって地獄に必ず堕ちる」という思想が根強くありました。
これに悩む女性の救済のために、当時の中国の僧侶は「血盆経」という、血の池地獄について記した経典(釈迦が書いたという設定)を創作し、「これを写経すれば、血の穢れで地獄に行かずに済むよ」としました。
先述の「方便」の一種です。このように、時代・情勢・文化圏ごとに、変化する悩みに対応し、その都度、釈迦が書いた、という設定で文書を創作しました。
現存するほぼ全ての経典が、この血の池地獄のような流れで創作された偽物です。

「大乗非仏説」というものがあります。
釈迦が死んでしばらくの間、釈迦の弟子たちの教派が幾つか分裂し、均衡を保っていた(のちに小乗仏教と呼ばれる)。
ある日、「その諸教派(小乗)の教えは正しくない!」と立ち上がった僧侶達が、新たな革新的仏教体系「大乗仏教」を創設。
その際、新ムーブメント「大乗仏教」の教えと合致するような(権威付けるような)内容の経典(釈迦の教えを記述した文書)が、新たに、ザクザクと発見された。
不思議ですね?すべて創作です。
大乗仏教の経典は、全て、大乗仏教徒の捏造なのだ!」というこの仮説(実証されているようなものだが)を大乗非仏説と呼ぶ。
ムスリムが、自分の思想を広めたいがために、自著を第二のコーランとして「ムハンマドの新しい教典を発掘したぞ!」と偽って喧伝するようなものだ。
(ちなみに麻原は「小乗は本来最高の理論だったが、釈迦の没後に釈迦の弟子が修行・研究を怠ったため堕落し、結果として大乗が生まれざるを得なかった」と説いています)

大昔NHKで、チベット仏教の重要なテクスト「チベット死者の書」の特集に、宗教学者中沢新一が参与した。
で、チベット学者の山口瑞鳳が「チベット死者の書偽書であり、それに価値を抱く中沢新一はいかがなものか」と批判した。
実際に、チベット仏教では「新しい経典を創作し、それが古来からあるものだと人々を騙すため、わざとよごした創作経典を、発掘する」という事をする。
こうして”発掘”された書は「埋蔵経(テルマ)」と呼ばれ、少なくとも二十世紀初頭まで、チベットにて夥しい数の”発掘”が行われている。
しかし中沢は、偽書=埋蔵教である事を知った上で「チベット死者の書」を評価した。
「長いこと、人の世界にさらされて、無理解や歪曲によって、すっかり原初の輝きを失ってしまった」古いテクストもいいが、
ときには、新たに出現した「埋蔵教(テルマ)」のほうが真理についての「新鮮な霊感がみなぎっている」と。
チベットにおける偽経の美学(?)については中沢新一「三万年の死の教え」に詳しい。

繰り返すが、偽経は方便と同様に好意的に解釈できる。
大乗の創作者は、その当時の市民の精神安定に最も適するカタチの教義を広めたかったから、大乗を創作したんでしょう。
釈迦が生きていた頃と、大乗が創作された頃とは時代が違うのだから、むろん、市民の悩みの性質も変化する。最初期の教義ではカバーできない領域も出てくる。
創価学会日蓮宗日蓮正宗の親分「日蓮」も、「釈迦の時代と今の時代は、悩みの生ずる原因が異なるので、今の時代に適した仏法が必要」という理由で「第二の釈迦」のスタンスを自称しています。
麻原も、八正道は時代遅れだとして、6つの極限修行とか4つの極限修行などの新たな修行法を掲げています。

むろん、大乗経典といえども、仏教の基本的な理念である「因果律」「空」などはちゃんと踏襲しています。
それらの基本的理念だけ根底に置いていれば、あとはどんな教えを創作しようと自由です。教典の冒頭はほぼ全て「如是我聞(私は釈迦からこう聞いた)と始まりますが釈迦から聞いてなくてもいいんです。
「如是我聞」は「仏教的理論から私が創り出した理論はこのようなものでございます。」という意味に実質なっています。
小室直樹「日本人のための宗教原論」で述べられたように、教典を偽造し放題であるという事が、仏教の論理性を高める一つの要因となりました。

聖書にもこうあります。
「新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。盛んに発酵する新しいぶどう酒が古い革袋を張り割いてしまうからである。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければならない。」
ぶどう酒は「悩み」、革袋は「教義」のメタファーですね。

●翻訳で変質する教義
釈迦は、自分の教えを文書にして残す事を禁じた。諸説あるが、理由は以下の2つに大別できるだろう。
1「言語によってニュアンスや意味が固定化される事で、教義の内容が曲解される可能性がある」
・さきほど「宗教は言語学を内包する」と言ったが、まさにこれだろう。フロイトは「人間の心の最深部にあるのは言語」、ユングは「人間の心の最深部にあるのは感覚」と考察した。
 恐らく釈迦は後者だと考えていたのだろう。作家で僧侶の南直哉は著書「賭ける仏教」において「無明(心理の中の根本的なバイアス)」という仏教用語を「言語世界」と解釈した。

図説…オウム真理教の精神解釈● 小室直樹らは「真我」の実体化と、その掘り下げが不十分だとしてオウム真理教を仏教ではないと分類する。
(画像)

 私も合法LSDをしつつ瞑想をしている時に仏性・諸行無常・色即是空という仏教的観念が頭の中に生じるが、それを文字化しようとしても、どうにもその観念を言語に変換できない。
 やはりユングが説いたように、哲学的・形而上学的な理論は、ある程度の深度からは、言語に変換不可能になるのだろう。
 天台宗最澄真言宗空海は、前者が「人間の心理の最新部は言語」後者が「人間の心理の最新部は感覚」とし、対立しました。
 空海は言語による修行ではなく、体も使って修行しなければ仏法は理解できないと考えました。ここら辺は岸良範・山口豊ユング心理学密教」で詳しく解説されています。短くて面白いですよ。
 で、話を戻します。釈迦は文書での伝承ではなく、口話での伝承を選択したが、それにも問題があった。
最初に執筆された経典(釈迦の教えを文書にしたもの)である「阿含経」であっても、釈迦の死後約100年~200年経過してから作られたものだ。
釈迦の教えを聞いた者達が、教えを記憶した。それが口伝で何世代か継承されたものを、文書にまとめるというプロセスで作られた。
恐らく、記憶を口伝する過程で、記憶者によって忘れられた教義、変化したニュアンス、覚え間違い、読解力の不足…などの要因から、
阿含経の時点でも、釈迦の教えのニュアンスの大部分が失われた事に疑いの余地はないだろう。

2「翻訳によってニュアンスや意味が失われる」
「sunya」という概念を解説した経典が、インドの言語から諸国語を経て中国語へと重訳される過程で「sunya」という単語のニュアンスが原典から変化している。
「sunya」とは「空」だ。だが「sunya」と「空」は意味の異なる概念になってしまった。(現在は史料批判によってこれは解決された(?))
インターネットの機械翻訳で、同じ文章を日→英→日のように再翻訳すると、全く意味の違う文になってしまうが、人間がおこなう翻訳でも同様の現象は起こる。
ちなみに「空」についての経典が書かれた頃、インドには「ゼロ」の概念があったが、中国にはなかった。「空」の解釈も違ってくるでしょう。

ノーベル文学賞の時期に村上春樹の本の翻訳に頭を悩ます翻訳家が取材されているが、文学や宗教教典のように、先ほど述べた「感覚言語」で綴られた抽象的な文書は非常に翻訳しにくい。
コーランや聖書の外国語訳が禁じられたのも、「sunya」が「空」になってしまうような事態を恐れての事だろう。

仏教宗派には「依経(えきょう)」と言って、自分たちの宗派が最も重要視する経典を設定する文化があるが、大乗非仏説に則れば、その依経自体が偽経だとされる宗派ばかりだ。
ちなみに他宗派の経典を偽経偽経だと口撃する日蓮系宗派も、最近になって考古学のレベルが上がってから自分たちが依経にしている法華経偽経だと判明してしまった。
阿含宗阿含経を「唯一の釈迦直伝の経典」と謳っているが、科学的な見地から言えば嘘だ。

よくオウムに対して「あなたの教義のこの部分、仏教に反してますよ」と批判する人がいるが、「信仰」とはすなわち「曲解や取捨選択をする事」だ。
最初期の教義に一切反してはいけないとするならば、99%の仏教徒は信仰を奪われる事になる。その上「宗派」「教派」というものもこの世に存在しないだろう。
また、「オウムの教義はキリスト教ヒンドゥー教や仏教の教義を寄せ集めたパッチワーク宗教だ」と主張する人がいるが、ほとんどの宗教が他宗教のパッチワークだ。

オウム真理教を「仏教の異端」として解釈する人は少ない。仏教学者のほとんどがオウムは「仏教」ではないと断言している(■lll.「宗教体験」としてのオウム真理教 1988)。

で、ここまでで宗教に関するあれこれを解説しましたので、「次にヒットする新興宗教の作り方」のシミュレーションに戻ります。

 

 

うんち高校エッチ部 不良

■1
私は、釈迦如来の仏像の顔が、ダウン症児に見える。
汚い地方都市の一角の、ラブホテル街の路地裏で、私の手下の不良二人が男性一人をリンチしている。
灰色のマットレス、一足だけ捨てられたスパンコール、割れたパイロンは、先週と全く同じ位置でこのリンチを見ている。
不良達は、反撃を全く恐れていないかのような散漫な動きで、ゆっくりとした間隔で、膝立ちの山ちゃんの腹部に蹴りを入れる。
その度に、無抵抗な山ちゃんが首から下げている、顔写真入りカードにプリントされた、ハートに笑顔が描かれたキャラクターは物悲しく揺れる。
不良の学ランの布が擦れる音、二級知的障害者の山ちゃんの喘ぐ音、打撃の際に踏み込まれるアスファルトの音。
それらを聴きながら、私は縁石に腰掛け、「強くなる新詰将棋200題」の八周目をこなしている。
顔面神経痛は、今日も等間隔で私の右口角と右頬と右目を跳ね上げる。私はそれに合わせてずれるハードレンズのメガネをひっきりなしに直している。
奨励会で8連敗した時から毎日、ある時間を除き常に顔面の右半分の筋肉が痙攣しているため、もはや私の顔面は左右で別人のようになってしまった。

■2
小学生将棋名人戦で、私は怪物の片鱗を見せた。程なく奨励会に入った。私は怪物ではなかった。
私は奨励会内で最底辺に位置しているが、将棋のために払った犠牲の量は他の奨励会員に劣らない。しかし実力は全く劣っている。
昔は朝からずっと将棋盤と睨めっこして、日が沈む頃には疲れから来る吐き気と共に、壁のシミが詰将棋に見えて喜んだものだ。
今、家の便所の壁のシミを見ても、どこにも金や銀はない。その壁のシミは七手詰めだった。いい問題だった。
子供の時分、人より将棋が随分上手だったばかりに、私は奨励会という泥沼に首から下を突っ込み、心労から顔面神経痛を患い、挙句最底辺の高校に進学し、非行に走った。
マルボロが三本減ったが、まだ「強くなる新詰将棋200題」八問目の詰将棋の十五手目がわからない。喉が渇いてきた。この本はプロすら解くのに難儀する問題ばかり収められている。


山ちゃんは腹に蹴りを貰う度に、時折喃語で何かを叫びつつ、リンチが済んだ後の「あの時間」を静かに忍び待っている。

首から下げたカードにプリントされたハートのキャラクターはまだ微笑んでいる。
昔から小太りで、太くて短い首を持つ私は、幼少から喧嘩が強かった。パンチ力とキック力がヒエラルキーを決定する底辺高校という環境で十分な地位を獲得できた。
夕空の下でリンチされる知的障害者の喘ぎを聴いて詰将棋を解きつつ吸うタバコが一番いい香りだ。

■3
私は知的障害者に嫉妬していると同時に、知的障害者を愛している。
決して、単純な嗜虐心から暴行を指示している訳ではない。
私の手下の不良どもに暴行されている2級知的障害者の山ちゃんと、私は、きちんと最低な行為で心が繋がっている。
週に一度、私は手下と共に山ちゃんをリンチする。その後、私と傷だらけの山ちゃんは、二人で近くの廃寺の中に上がり込む。
そして山ちゃんは、私の腸内を犯す。

■4
自由に空を飛ぶ鳥を人が羨み愛でるように、人類の中で唯一、秩序を度外視可能な存在である知的障害者を、私は羨み愛でている。
知的障害者は知性の対極に住んでいる。将棋は逆立ちしても出来ないだろう。だが、出来なくていい。
知性さえ無ければ、あるいは、我々の祖先が火を発見しなければ、二足歩行しなければ、私は現代日本の地方都市に住みボードゲームの実力を気に病んでしょっちゅう顔の右半分を痙攣させる小市民にはならなかった。
知性を有効活用できる人間は少ない。私のように知性で身を滅ぼす人間はゴマンと居る。
しかし知的障害者は、皆教えられた訳でもなく、知性がない事を利用し、社会福祉の庇護の下、清潔な施設で、生物としての危険性も労役も生じない雅やかな生活を送る。
それは成功ではないだろうか?
知性とワンパッケージに労役と煩悩を押し付けられた我々健常者は、知的障害者の、失敗版だ。
ダウン症児は健常者より染色体が一本多い。それは進化と言えないだろうか。
障害者への福祉は、選ばれし進化人間への、我々愚妹した健常者からの聖なる捧げ物である。
私は最近、釈迦如来の仏像の顔が、ダウン症児に見える事に気付いた。

■5
特に、東大寺の東門にある釈迦如来像は、山ちゃんの生き写しのようだ。
時々、工業用メチルアルコールを飲んで、山ちゃんのような知恵遅れになりたくなる衝動がある。対局で負けた日が特にそうで、知性に嫌気が差す。
私は劣勢になると、打開策を考えるよりまずメチルアルコールの事が頭に浮かぶ。そして、それを飲み干した私が、養護施設で、生物として何ら義務も危険性も知性も持たない余生を送る様子を想像する。
そうこうしている内に、私は投了している。
投了すると今度は、気付けば私は東大寺の東門の釈迦如来像に着いている。1つのパズルピースが、正しい箇所にぱちりと収まるように、私はそこにいる。


メチルアルコールは、山ちゃんと同じ世界へ行ける切符だ。対局の時はメチルアルコールが満たされた500ミリリットルペットボトルをお守りのように、左脇に置いている。右脇には駒台がある。
お守りに保証書はない。天国地獄煉獄の存在は誰も断言出来ない。しかしメチルアルコールを飲めば、確実に重篤な脳障害を負える。

■6
最近、私は山ちゃんに法華経を教えている。
行為後の、汗の甘い香りが立ち込める廃寺で、毎度山ちゃんは私に教えられた法華経をそらんじようと頑張る。
しかし山ちゃんは中々覚えられない。
山ちゃんの脳の容量は、私のスマホと同じ60GB程だろうか。


親鸞は、誰しも自分の心の中に仏が住んでいると説いた。
山ちゃんのような知的障害者にも、心に仏が住んでいるのだろうか?
以前LSDをして電車に乗った時、私の目の前で知的障害者の初老女性が呻いていた。
トランス中の私はその時、私の前で呻いているこの女性は、健常者がLSDをした時の心境と同じようなトランス状態に常にいるのではないか?と思った事がある。
知的障害者LSDを摂取するとどうなるのだろうか?今度手に入ったら、山ちゃんにシートを食べさせてみよう。

■7
私は山ちゃんに法華経を暗記させられるまで、山ちゃんの法華経を聞けるまで、メチルアルコールは飲まないでおこうと思う。
山ちゃんが長い法華経を全て覚えるまで何年掛かるだろう。それまでに私は四段になっているだろうか。
だが四段になっていたとしたら、私はきっと心に余裕が出来て、依存する必要のなくなった山ちゃんを捨てるだろうし、メチルアルコールの入ったペットボトルも捨てるだろう。


私の小学校の特殊学級には恐ろしく背の低い小林という男が居た。
小学校の同級生の顔はほとんど記憶にないが、小林の、あの さくらももこ作品から飛び出して来たかのような単純な構造の顔は忘れられない。
小学生将棋名人戦で優勝した頃の私は、知性に対する敬意と依存をより強固なものへとしていた。
そして、あてつけのように、知性を有さない知的障害者を嫌悪した。
小学生名人は、小林を殴った手で駒を操り、奨励会試験を突破した。程なく8連敗し、顔の筋肉の忌々しい痙攣が始まった。
卒業を間近にすると、私は小林と悪習を行うようになった。

■8
小林の抽挿のリズムと、山ちゃんの抽挿のリズムは違う。
達するまでの時間も違う。しかし知的障害者というのは、何故か一様に量が多い。
私は山ちゃんと、農道の脇を歩いて廃寺を目指している。私の腸は、自身の本来の用途を忘れる時間を待ちきれない様子だ。
固く握り合っている山ちゃんの手も随分と汗ばんでいるのが伝わって来て、私はそれを夏の暑さのせいではない事を願った。
向かいの田んぼで、老いた農夫がJA共済のタオルで顔の汗を拭い、稲のすぐ脇に走っている小さな水路に痰を吐いた。

■9
山ちゃんのペニスは膝上まである。
小林のペニスは小学六年生として並みの大きさだった。小林と山ちゃんで抽挿のリズムが違う理由はここにある。
山ちゃんは幾ら注意しても外で出してくれない。進化人間は動物的本能に従って生きるため、ペニスの快感に簡単にのまれてしまうのだろう。
なので私は毎度、山ちゃんの精液を直腸粘膜からじかに吸収するハメになる。
直腸やヴァギナ、目などの粘膜器官は、ものを吸収するのに非常に長けている。以前、東欧の貧困層の若者が覚せい剤や酒を尻から摂取する映像を見た事がある。
それほど直腸というのは吸収効率が良い。
先ほど私の中に放たれた山ちゃんのDNAは、直腸から私の体に余すことなく吸収され、今も私の爪や髪の毛になっている。
この一秒間にも、私の爪と髪の毛は、一ナノメートルずつ、ゆっくりと、目に見えないスピードで伸びている。

■10
法華経を教えていると、山ちゃんはやはり途中で飽きてしまう。
私は暇になり、肛門がひりつくのを感じつつ、いつもそうしているように、廃寺の腐った木の床に寝転び、天井を見上げる。
この廃寺を囲む農業水道と水田がもたらした湿気が、天井に巨大なカビを咲かせている。
山ちゃんに犯された後だけ、そのカビが、詰将棋に見える。
私が小学生名人だった頃から今まで、何らかの模様が詰将棋に見える事はなかった。

しかし、山ちゃんに直腸を犯された時だけは、その限りではない。

私が体に取り入れた知的障害者の精液には、何か不思議な効能があるのだろうか。
ふと私はゴメオという液状の幻覚剤を思い出した。短い注射器を使い尻の中にゴメオを注水すると幻覚が見えるというものだ。
山ちゃんのような仏性の権化である知的障害者の金玉袋の中では、幻覚成分を含んだ精液が製造されているのかも知れない。山ちゃんは我々健常者より進化した生物だから、不思議ではない。
ここで悪習を犯すたび、私は尻から熱い精液と腸液を垂れながら、この不思議な詰将棋を見上げる。
天井中を覆っているこの巨大な詰将棋は、何手で詰むのだろう。恐らく百手、いや千手は必要かも知れない。
この作品は、そもそも将棋で用いられるマス目の総数八十一と、駒の総数四十枚をはるかに越えている。
この問題を解くためには、何度もここに通う必要があるだろう。
天井の梁の近くに咲いている、ひときわ大きな黒カビが、相手の王様だ。


あの黒カビを詰ますまでに、しかし山ちゃんは法華経を覚えられるだろうか。
あの黒カビを詰ますまでに、しかし私は四段に昇段できるだろうか。
だが、あの黒カビを詰ますまでに、私が可能な限り、この廃寺で幾度も腸を犯される事だけは確かだ。陳腐な文言になるが、この愛は永遠に終わらない。
私の尻から精液まじりの屁が汚らしい破裂音とともに飛び出て、それに喜んだ釈迦如来が隣で大笑いしている。
天井の詰将棋は、とても解けそうにない。
三十八手目 同銀引か、同銀右か。
どうも、到底わかる気がしない。
私はやはり、メチルアルコールを飲みたくなった。

女子高生金閣寺


昔、夏場の夕方にバイト帰りに自転車を漕いでいると、近所の私立校の制服を着た女子高生が自転車に乗って下校していた。

当時、かなり閉塞的な生活をしていた、カッペ+片親+貧困家庭出身+中卒+部落民+在日朝鮮人のぼくは、刺激に飢えていた。
また常々「女子高生は、どれほど物質的に恵まれて、また精神的にもルンルンな生活を送っているんだ?」と気になっていた。

ぼくは女子高生というか女性に接した事がない。高校も10ヶ月だけ通っていたが女子と接した記憶はない。
唯一接したのは、(最低な行為なので削除)(本当はまあまあ接していました。ぼくが下ネタをいうと、女子が肩パンしてきたりしてましたw ですが冗談話だけの関係だったので、ぼくが女性に疎いことは本当です 気にせず読み続けてくださいw)。
だから女子高生の考え方や生活が全く想像できない。
ぼくは女性を知らなさ過ぎて神格化してしまってる部分がある。
きっと女子高生は全員金持ちで、両親が居て、家がデカくて、
大学に行く予定で、将来性があって、小遣いはかなり貰っており、全員おしゃれと音楽に精通してて、部屋にはいい匂いのデカいベッドがあって、
しゃれた雑貨が置いてあって、小鉢でしゃれた植物を育てていてそれに外国人の女性名を付けていたり、
王様のブランチを欠かさず見ていたり、ダイバーランドに欠かさず行ったり、恋ダンスの振り付けを覚えていたり(振り付けが2割くらい曖昧なら尚良い)、
漏れなくそういう生活をしていると信じている。メインカルチャーサブカルチャーを一身に受信しているいい匂いの柔らかいバカ、それがぼくの中での女性像だ。
その「幻想」を「既知」に変換すべく、じゃあ今俺の目の前で自転車に乗ってるこの女子高生に家まで着いて行こうと思った。

女子高生は、ピンクのワイシャツに灰色のスカート。ポニーテール。靴は清潔な地味に高そうな灰色のスニーカーだった。
俺の、コーヒーの買い出しの帰りに寄った松屋で牛丼特盛を食って店を出た2分後に漏らした軟便が染み付いた、3年履いている穴の開いた汚いスニーカーとは大違いだ。
ぼくはセーラー服が好きなのだが残念ながら近所の高校のセーラー服はどれもデザインがカスなので興奮しない。俺は艦これの潮みたいなコテコテセーラーじゃないと興奮しない。
女子高生は、信号待ちの時、静止した状態でペダルを踏んで立ちこぎの姿勢を取り、お尻をふりふりしだした。なんだこいつは?ぼくは恋に落ちた。

実はここまで女子高生の顔は一回も見ていない。しかし薄ろ姿だけでも十分かわいい。
後ろをぴったり追尾しているので風に乗ってシャンプーや柔軟剤のいい匂いが薫ってきて、それを吸い込むと自分の身体が送ってきた汚れた歴史が内面から免罪・解毒されるようだった。
地方都市特有の、小さな薄汚い一戸建てと、洋服の青山と、ジョイフルと、ボコボコのアスファルトの道路と、休耕田と、知らん名前のローカルスーパーが立ち並ぶ風景の中を、
上下作業服+坊主頭+鳥肌実扇風機おばさんを足して2で割ったような顔の俺が女子高生の後ろを自転車で追尾している。

今俺の目の前にいるこの女子高生はぼくに無いもの、つまり学歴、将来性、お金、両親、健全な友達、健全な歴史、楽しい部活動、などを全て持っているんだろう。
この女子高生に着いていけばこの汚い街から解放されて、ぼくが持ってない全てのものが揃った境地に連れて行ってくれるんじゃないかと思った。
俺のような汚い人生を、このお尻ふりふり女子高生は送っていないのだろう。
この信号待ち立ちこぎ姿勢お尻ふりふり女は、中卒ではないし、精神科に通院歴もない、朝鮮の血は入っていないし部落民でもない、
シコろうと思ってチンコをこすった瞬間に鈍い痛みが走ってさっきシコったばかりなのを思い出すというカスみたいな体験をして、それをツイッターに投稿してウケようと文面を練ったりした経験なんてないだろうし、
小学生の頃にケロロ軍曹を読んでて入浴中の夏美のおっぱいの乳首が湯気で隠れているので鉛筆で乳首を書き足したはいいものの小学三年生にしてその時すでにデカ乳輪を描いたという経験などないだろうし
(釈迦が生まれた時に天上天下唯我独尊と言ったエピソードに少し似ている)、
高校受験のストレスで塾の帰りに廃工場の裏手に音を立てないように入って12月にも関わらず裸になって音を立てないように機械的にシコって音を立てないように服を着て出て行くというルーチンを
毎日夜中に40分かけて繰り返していた経験もないだろうし、結局塾まで通って受かったのは地元で2番目に頭の悪い高校でしかも10ヶ月で中退したという経験もないだろう。
俺のように、近所の高級マンションの一階でバスを待っている、恐らく夫の収入でその高級マンションに住んでいるであろう若妻の、ドレープ袖から覗く脇肉でオナった事もない。
恐らくこの女は彼氏のチンポが性欲を満たしてくれている。この女はパンケーキとライブと試験とクリープハイプと彼氏のチンポとクリープハイプのチンポの事しか頭にないのだろう。
まあ恐らくこれら全て、ぼくが女子高生に無知ゆえに抱いた夢想(むそう)だ。この夢想をストーキングによって振りほどくことでぼくは異性への神秘のベールを一枚はぎ取れるのだ。

女子高生の家に着いた。
ぼくはてっきりデカい清潔な一戸建て、もしくは地方都市のサラリーマンが頑張って買った小さい、だが小奇麗で、玄関先には嫁によるものであろうガーデニングがしっかり見繕ってあって
表札はなぜか英語の筆記体、みたいな一戸建てだと想像していた。

きったねぇ、全面ラベンダー色の低層マンションだった。

駐輪場の自転車も全部汚い 錆びてる。駐輪場の屋根のトタンはカビが咲きまくって黒色だ。
近くにはパチンコ屋と、墓場と、他の汚いマンションと、休耕田しかない。
女子高生も、こんな汚い所に住むんだ。

実際に女子高生の生活環境を見る事で、少し女性が苦手じゃなくなった気がした。
女子高生だって、ぼくみたいに汚い場所に住むんだ。少し肩の荷が降りた(肩の荷?)。

ぼくは駐輪場に行き、その女子高生が乗っていた自転車のサドルを撫でて、顔を寄せて一瞬だけ嗅いで、写真におさめて、
駐輪場を出て、近くの古本市場で中古の蹴りたい背中を108円で買って、家に帰って、一気に読んだ。面白かった。

この話を、ただ女子高生に着いていってサドルを嗅いで帰って読書した気持ち悪い話と捉えるのは間違っている。
あの日確かにぼくの生まれ持っての女性への苦手意識というのは撤廃されて、遠い存在である「女子高生」のベールが一枚はがれた。

サドルを嗅いだ瞬間に、はがれるのを実際に感じた。
今後、ぼくが女性と親密な関係になったとしたら、それは確実にあの日嗅いだサドルがぼくの背中を押した故の成功だろう。
三島由紀夫金閣寺では、主人公の吃音僧侶・溝口は金閣寺を焼く事で、自分の美に対する劣等感や、卑屈な陰性の感情をはねのけた。
ぼくは、女子高生のサドルを嗅ぐ事で、自分の女性に対する劣等感や、卑屈な陰性の感情をはねのけた。

溝口は金閣寺を一戸燃やせば自分のアイデンティティを確立できたが、ぼくはまだ確立には至っていない。
まだ近くに生えてる雑草を一本火でちょろっと炙ったくらいだ。
ぼくの中に建っている金閣寺を全焼させるには、きっと何回も女子高生のサドルを嗅ぐ必要があるのだろう。
こんど、メルカリで、実際に女子高生が着ていた、学習院高校か目黒研心の女子セーラー夏服を買おうと思う。
セーラー服を買う事で、こんどはもっと神秘のベールを剥げて、もっとデカいダメージを金閣寺に与えられる。
いつかJKリフレにも行って一発抜いてもらう。これはあさま山荘の鉄球レベルのダメージを金閣寺に与えられるだろう。
ぼくの中の金閣寺を、ぼくはこれからもボコボコにしていこうと思う。

 

将棋ウォーズ「少し弱い」+捨て垢なら1日30連勝できるのか検証


藤井四段が30連勝失敗しましたね
自分は将棋ウォーズは基本的に捨て垢+「少し強め」設定で指しています。
なので自分の適正段級位と強さがわかりません...
「少し弱め」で初心者相手なら30連勝出来るかな と思い実験しました。
また、同時に、「1日に何局も指したら、何局目から疲労で勝てなくなるか」も調査しました。
1日に指しまくって30連勝を目指しました。

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30連勝出来ました

朝からぶっ続けで32局指し、2局目でうっかり1敗しただけで後は全勝しました。

「?」となっている戦法は、力戦、オリジナル攻め、という意味です

7連勝目のメリケン向飛車→風車対居飛車四枚穴熊

27連勝目の右玉対棒銀が個人的に見て欲しいのでフラ盤で振り返ります

 と思ったのですがフラ盤の導入方法がわからなかったので簡単なスクショで済ませます....

 

■メリケン向飛車→風車 vs 居飛車四枚穴熊

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30連勝するぞ!という強い気持ちから、普段全く指さない振り飛車を指しました。

が、相手が居飛車穴熊に組みました。

メリケン向飛車は有利な状態で飛車交換を挑む戦法なので、相手が攻め合いに強い穴熊だと戦法の強み、良さ、がなくなりませんか??? 実際のメリケン向飛車って穴熊にはどうするんでしょうか???

 

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私がずっと標榜している「わからなかったらとりあえず右玉」の格言のもと(初心者の手将棋思想ですが…)せっせと右玉へ

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むろん、右玉には端攻め。あちらは四枚銀冠穴熊。かてえ。飛車先は突破したけども。

穴熊側が端攻めに踏み切れるほど右玉は端が薄いです。

伊藤果 対 丸山忠久戦でも、右玉アイドル・伊藤八段の風車に対して

山九段の端攻めが炸裂?し……

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衝撃的投了図が完成しました...

話を戻します

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こちらも▲57角があるので。互いに転換した角を使って端で殴り合い。

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投了図はこんな感じ。見事な端の逆襲が決まりました。

このメリ向→風車にシフトする戦法って棋理的にはどうなのかな?

 

 

■右玉 対 棒銀

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また右玉です(風車は右玉の一種です)。こちらは後手ですが便宜上先後反対です

あちらは角を引いてて次に▲24歩から角・歩交換が可能なので、こちらの33角がただの手損ですね

ですが、個人的に右玉いっぱい指してて、角交換の状態で風車に組めたらその時点で結構指しやすくなるのでこの筋は別にいいかな、と甘受してました。

実戦では交換されず棒銀をされました。

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△33桂から、▲24歩△同歩▲同銀△23歩に▲同銀なら△27歩から飛車を連打出来たのですが、なんか怖かったので△16歩打ってしまった

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嫌な形。17の と金の遅早(おそはや)と、突破された1筋のどちらが早いか

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△88歩の桂頭単打してえ~~

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次に▲88玉とされて勝てる気がしなかったので投了しようか迷いました しかし

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▲12飛車成△11歩に、▲21龍△同飛車と、先手が飛車交換させてくれました。

これは▲同と で取った形が非常にと金の働きが悪いので完全に優勢になりました。

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とりあえず腹銀

しかし...

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王手飛車を忘れていた 

△35香▲39角△同香成...

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こちらも安全っちゃ安全

あちらも危険っちゃ危険

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お願い腹角

次に△79金で詰みなので先手は受けます むろん気付かれる

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しかし▲79角で受けてもらったおかげで助かった

△44馬で一気に自陣が引き締まったし、何よりも79の生角は守りにも攻めにも働きが悪い最悪な位置にいます

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一転攻勢 たまらず相手玉はお城から出てきました

私の王手飛車のケツを拭いた成香が39で睨みを効かせていますね

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なんだか双方綺麗な形 必至なのでこのまま投了となりました

 

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今回の対局での戦法と採用局数

私は右玉、飯島流、ひねり飛車、一直線穴熊、先手番角頭歩、新鬼殺し、矢倉中飛車を指せます。が、今回は負けたくなかったので、最悪時間切れ負けを狙える右玉をいっぱい使いました 結局32局のうち時間切れ負けの対局は1局なかったですが…珍しい

相手は、級位者御用達戦法を使ってきました。

そろそろアカウント作ってちゃんと指すかな

 

 

 

<翻訳>韓国の不良は日本より乱れていた「性上納」「逆レイプ」「売春ビジネス」

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今はもう繁華街でカツアゲされる事も不良文化全盛期の頃より少なくなってますが
韓国では未だに不良文化は興隆しています。また日本の不良の全盛期よりも乱れているかもしれません。
特に韓国の不良文化では、朝鮮土着の儒教文化の影響で上下関係が日本のそれよりも強くなっている感があります。

 

■売春強制

http://www.m-i.kr/news/articleView.html?idxno=6097

<翻訳>最近インターネットを通じ女子学生暴行動画が相次いで公開され波紋を呼んでいる。
去る5月一人の女子中学生が友人によって無差別的暴行を受ける映像がアップされ、その5日後に流布された動画には、
2人の裸の女子高生が脅迫により互いを暴行し、さらに太ももに凶器で危害を加えられる場面が撮されていた。
(中略)後者の映像は、売春をさせるための”脅迫用”に撮影された事が明らかになった。

http://www.womennews.co.kr/news/52558
<翻訳>シンスンガプ事務総長は「一陣会で有力な女子学生が援助交際チャットルームを開設し、
直接電話を受け第三講通帳で金を受け取った後、後輩を差し出す。既に五年前から盛んに行われたこと」とし「女子一陣会員が苦しむ妊娠と中絶、性病問題が深刻だ」と伝えた。
女子学生一陣会員は堕胎費用を作るためにグループ内で堕胎カンパを募る事もある。


■小学生もスカウト
http://shindonga.donga.com/3/all/13/104304/1

<翻訳>
ソウル市のキム・ソニ(15)の場合。
ソニは元々容姿のせいでいじめに遭っていた。(中略)
小学校六年生だったソニは、ある日友達と漢江の川辺に遊びに行った。
そこで女子中学生数名に会った。彼女らはソニにいきなり「お前遊ぶのか?」ときいた。
(中略)その一陣会のメンバーになった。
小学校最後の夏休み。ソニには恐ろしい通過儀礼が待っていた。「タッチ」と呼ばれる一種の申告式だ。
両親が留守にしている先輩の家にソニと友達数名が呼ばれた。そこで一人の姉貴から平手打ちされた。
先輩たちに丁寧に挨拶していない罪 とされた。こうやって受けた仕打ちを感情パン(感情を傷つけるための仕打ち)とも呼ばれた。

■上納金制度 小学生を中学生がカツアゲ
中学校に上がれば先輩たちに金を上納までする必要があった。
ソニは「打たれ、金を集め、挨拶し、このような事ばかりだった」と打ち明けた。
先輩たちが要求する金額を集めるために小学生たちから金をカツアゲした。
最初は難しかったが要領を得た。2、3名ずつペアを作り。1人の友達は見張りをし、1人の友達は小学生を路地裏へ誘い込んだ。
怯える子供に「お前いくらある?」と尋ねる。答えを躊躇すれば「(金を持っていないか)探して、出てくれば死ぬ」と脅迫する。
そうるれば体外はポケットの金を取り出す。先輩が要求する金額は3万~4万ウォン(3000~4000円)。
不足すれば仕打ちが待っている。


http://www.sisapress.com/journal/article/101124
一陣会の下っ端は、カツアゲのために中高生が多く集まる都市部に遠征に行くこともある。

■暴行
ある日の放課後、学校近所のカラオケ店で集まるよう命令を下された。

(暴行は主にカラオケで行われる。発見の危険性がなく、防音であるから。また学生を主な顧客として営業するカラオケは学生の飲酒を容認する所が多い http://www.sisapress.com/journal/article/101124

「また暴行に合うんだな」と思った。
先生に打ち明けようかとも思ったが、その後残酷な対価を支払う事となる。
話してみても、問題になる学生数名が一日怒られるだけで終わる。
しかしソニは絶えず苦しめられている。卒業まで2年も残っている。転校しても報復は避けられない。姉貴たちはソウル市内のほぼ全ての学校に遊び友達を作っているらしい。
噂が広まればソニは隠れる場所がなくなる。なすすべもなくカラオケ屋へ向かった。
既に一人の先輩が20名が入るほどの部屋を借りていた。
2、3年の先輩たち10名が座っていた。2年の先輩のひとりが「(これから始まる事の音を聞きつければ)店員が覗き込むから、歌うふりをしろ」と(他の先輩に)注意を与えた。
ことは起こった。3年の先輩の中でも最も喧嘩が強い姉貴が声を上げた。
普段の挨拶をよくしておらず、金をきちんと集めていないから呼んだ。
跪き、手を後ろにしろ。
そうすると、床につばを秋、その上に跪いた。
ソニの制服が痰とタバコの灰汚れた。それでも目を閉じた。目を開けば、より苦痛だ。
「ソニ、お前が至らなかった点はなんだ?」
「金も集められず、挨拶もせず…」
2年の先輩の一人が歌い始めた。音が外に漏れるのを防ぐためだった。3年の先輩が言った。
「じゃあ、いくつムチを受ける?」
「…30台」
すると2年の先輩たちが集団でソニを殴り始めた。
最初は平手打ちだったが、次第に腹まで蹴り出した。
いくら暴行されたか覚えていなかった。歌の本(デンモク普及前にカラオケ屋に置いてあった曲の目録)、
マイク、タンバリンでも殴られた。とてもいたくて声を上げることもできなかった。
帰宅後、生理のように腹部が痛み、下血した。下血は6週間続いた。

■ホームページ文化
一陣会の深刻性は金と暴力、そしてセックスの文化が先輩から後輩たちに、一つの学校から他の学校に波及・拡散される点にある。
2000年、教育情報化事業がおわり、全ての学校にインターネット網が敷かれ、
学生たちはインターネット利用方法に留まらずホームページ作成技術までミニつkている。
2003年小学生と中学生一陣会を対象としたソウル聯合は、ホームページを作るジョ・ヒェジンのように、子供たちは競争的に一陣会のサイトを作った。

■インターネットを通じての犯罪手口の共有
新しい技術は一陣会の学生たちを団結させ、悪い癖を電波する方向に悪用された。
いんたーネットを通じわいせつ動画をアップするかと思えば犯罪手口を伝授しもした。
女子学生は主に主にものを盗む方法と見張る方法を共有し、男子学生は喧嘩の技術やバイクを盗む方法を共有した。

■模擬婚約式
子供たちは集まってバイクに乗り、ディスコダンスを踊り、時には旅館を一晩抑えて酒を飲むこともある。
こうしながらセックスが始まる。一陣会は組織を作った重要な理由も異性交際のためである。
遊ぶにはお金が必要で、お金をために暴力を使い後輩を召使って金を巻き上げる。学生には暴力とセックスはコインの表裏のように分離することが出来ないのだ。

高校一年生のキムセジュンが中学校2年の時に一陣会ので彼女を作った。
異性交際が開始されると、先輩後輩に申告式をしなければならない。
これは「カルシク」と呼ばれ、一種の婚約式だ。セジュンはカラオケやで申告式を行った。
「8秒程度のキスをします。(中略)その後にホームページにて私たちの関係をお知らせしました。浮気を防止する目的です」

■逆レイプ文化。
一部の女子学生たちは、かわいらしい女子後輩に男子学生を家に連れ込ませる。そして別の先輩女子学生が強制的に勃起させ、セックスをする。
これを「卵食い」と呼ぶ。時には後輩たちが知る男子・女子を後輩たちに「性上納」させる場合もある。

■乱れたパーティ
中学一年生の時、ス・ギョンイは夏休みと冬休みに一陣会の繋がりで「イルラク」と呼ばれる未成年パーティに行った。
場所は新村のロックカフェ。ソウルはもちろん、ギョンギグリ市でも学生たちが来たが、500名はいるようだった、
午前10時から遊び始め、午後3時まで性的なゲームをして楽しく遊んだ。
最も光って見えたゲームは、学生たちがステージに上がり服を脱ぎ踊る事だった。
最もセクシーな踊る参加者に賞金5万ウォン(5000円)とタバコのカートンが与えられた。
このように、いつもゲームには商品が付随する。

カップルのキスゲーム…誰が最も熱くキスをできるか、商品は賞金とタバコ
タバコを早く吸うゲーム…女子学生の場合、タバコではなくヨーグルトの早食いで遊ぶ。やはり商品はたばこ。
ファッションショー…韓服を着る学生やパジャマを着る学生などがいる。2003年の夏休みには黒のドレスを着てきた中学三年女子がベストドレッサーに選ばれた。

午後3時イルラクが終われば、ほとんど家に帰る。しかし一部の学生はバーへ向かう。まだ未成年だが入る方法はある。
最も一般的な方法は、偽造した住民登録証を示すものである。証明写真一枚を持っていけばその場で作ってくれるもの。1万5000ウォン(1500円)だけあればよい。
(中略)しかし身分証明証を偽造しなくても入れるバーもいくらでもある。不況の影響で学生たちに堂々とお酒を得る店が多くなったかあだ。学生達が入るとバーの主人はドアを施錠して取締に備える。

 

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