ギニョっち通信

朝鮮関係の翻訳ニュース、将棋、アングラネットの話。日本語でググっても出てこない情報をアップします キムギニョン

うんち高校エッチ部 不良

■1
私は、釈迦如来の仏像の顔が、ダウン症児に見える。
汚い地方都市の一角の、ラブホテル街の路地裏で、私の手下の不良二人が男性一人をリンチしている。
灰色のマットレス、一足だけ捨てられたスパンコール、割れたパイロンは、先週と全く同じ位置でこのリンチを見ている。
不良達は、反撃を全く恐れていないかのような散漫な動きで、ゆっくりとした間隔で、膝立ちの山ちゃんの腹部に蹴りを入れる。
その度に、無抵抗な山ちゃんが首から下げている、顔写真入りカードにプリントされた、ハートに笑顔が描かれたキャラクターは物悲しく揺れる。
不良の学ランの布が擦れる音、二級知的障害者の山ちゃんの喘ぐ音、打撃の際に踏み込まれるアスファルトの音。
それらを聴きながら、私は縁石に腰掛け、「強くなる新詰将棋200題」の八周目をこなしている。
顔面神経痛は、今日も等間隔で私の右口角と右頬と右目を跳ね上げる。私はそれに合わせてずれるハードレンズのメガネをひっきりなしに直している。
奨励会で8連敗した時から毎日、ある時間を除き常に顔面の右半分の筋肉が痙攣しているため、もはや私の顔面は左右で別人のようになってしまった。

■2
小学生将棋名人戦で、私は怪物の片鱗を見せた。程なく奨励会に入った。私は怪物ではなかった。
私は奨励会内で最底辺に位置しているが、将棋のために払った犠牲の量は他の奨励会員に劣らない。しかし実力は全く劣っている。
昔は朝からずっと将棋盤と睨めっこして、日が沈む頃には疲れから来る吐き気と共に、壁のシミが詰将棋に見えて喜んだものだ。
今、家の便所の壁のシミを見ても、どこにも金や銀はない。その壁のシミは七手詰めだった。いい問題だった。
子供の時分、人より将棋が随分上手だったばかりに、私は奨励会という泥沼に首から下を突っ込み、心労から顔面神経痛を患い、挙句最底辺の高校に進学し、非行に走った。
マルボロが三本減ったが、まだ「強くなる新詰将棋200題」八問目の詰将棋の十五手目がわからない。喉が渇いてきた。この本はプロすら解くのに難儀する問題ばかり収められている。


山ちゃんは腹に蹴りを貰う度に、時折喃語で何かを叫びつつ、リンチが済んだ後の「あの時間」を静かに忍び待っている。

首から下げたカードにプリントされたハートのキャラクターはまだ微笑んでいる。
昔から小太りで、太くて短い首を持つ私は、幼少から喧嘩が強かった。パンチ力とキック力がヒエラルキーを決定する底辺高校という環境で十分な地位を獲得できた。
夕空の下でリンチされる知的障害者の喘ぎを聴いて詰将棋を解きつつ吸うタバコが一番いい香りだ。

■3
私は知的障害者に嫉妬していると同時に、知的障害者を愛している。
決して、単純な嗜虐心から暴行を指示している訳ではない。
私の手下の不良どもに暴行されている2級知的障害者の山ちゃんと、私は、きちんと最低な行為で心が繋がっている。
週に一度、私は手下と共に山ちゃんをリンチする。その後、私と傷だらけの山ちゃんは、二人で近くの廃寺の中に上がり込む。
そして山ちゃんは、私の腸内を犯す。

■4
自由に空を飛ぶ鳥を人が羨み愛でるように、人類の中で唯一、秩序を度外視可能な存在である知的障害者を、私は羨み愛でている。
知的障害者は知性の対極に住んでいる。将棋は逆立ちしても出来ないだろう。だが、出来なくていい。
知性さえ無ければ、あるいは、我々の祖先が火を発見しなければ、二足歩行しなければ、私は現代日本の地方都市に住みボードゲームの実力を気に病んでしょっちゅう顔の右半分を痙攣させる小市民にはならなかった。
知性を有効活用できる人間は少ない。私のように知性で身を滅ぼす人間はゴマンと居る。
しかし知的障害者は、皆教えられた訳でもなく、知性がない事を利用し、社会福祉の庇護の下、清潔な施設で、生物としての危険性も労役も生じない雅やかな生活を送る。
それは成功ではないだろうか?
知性とワンパッケージに労役と煩悩を押し付けられた我々健常者は、知的障害者の、失敗版だ。
ダウン症児は健常者より染色体が一本多い。それは進化と言えないだろうか。
障害者への福祉は、選ばれし進化人間への、我々愚妹した健常者からの聖なる捧げ物である。
私は最近、釈迦如来の仏像の顔が、ダウン症児に見える事に気付いた。

■5
特に、東大寺の東門にある釈迦如来像は、山ちゃんの生き写しのようだ。
時々、工業用メチルアルコールを飲んで、山ちゃんのような知恵遅れになりたくなる衝動がある。対局で負けた日が特にそうで、知性に嫌気が差す。
私は劣勢になると、打開策を考えるよりまずメチルアルコールの事が頭に浮かぶ。そして、それを飲み干した私が、養護施設で、生物として何ら義務も危険性も知性も持たない余生を送る様子を想像する。
そうこうしている内に、私は投了している。
投了すると今度は、気付けば私は東大寺の東門の釈迦如来像に着いている。1つのパズルピースが、正しい箇所にぱちりと収まるように、私はそこにいる。


メチルアルコールは、山ちゃんと同じ世界へ行ける切符だ。対局の時はメチルアルコールが満たされた500ミリリットルペットボトルをお守りのように、左脇に置いている。右脇には駒台がある。
お守りに保証書はない。天国地獄煉獄の存在は誰も断言出来ない。しかしメチルアルコールを飲めば、確実に重篤な脳障害を負える。

■6
最近、私は山ちゃんに法華経を教えている。
行為後の、汗の甘い香りが立ち込める廃寺で、毎度山ちゃんは私に教えられた法華経をそらんじようと頑張る。
しかし山ちゃんは中々覚えられない。
山ちゃんの脳の容量は、私のスマホと同じ60GB程だろうか。


親鸞は、誰しも自分の心の中に仏が住んでいると説いた。
山ちゃんのような知的障害者にも、心に仏が住んでいるのだろうか?
以前LSDをして電車に乗った時、私の目の前で知的障害者の初老女性が呻いていた。
トランス中の私はその時、私の前で呻いているこの女性は、健常者がLSDをした時の心境と同じようなトランス状態に常にいるのではないか?と思った事がある。
知的障害者LSDを摂取するとどうなるのだろうか?今度手に入ったら、山ちゃんにシートを食べさせてみよう。

■7
私は山ちゃんに法華経を暗記させられるまで、山ちゃんの法華経を聞けるまで、メチルアルコールは飲まないでおこうと思う。
山ちゃんが長い法華経を全て覚えるまで何年掛かるだろう。それまでに私は四段になっているだろうか。
だが四段になっていたとしたら、私はきっと心に余裕が出来て、依存する必要のなくなった山ちゃんを捨てるだろうし、メチルアルコールの入ったペットボトルも捨てるだろう。


私の小学校の特殊学級には恐ろしく背の低い小林という男が居た。
小学校の同級生の顔はほとんど記憶にないが、小林の、あの さくらももこ作品から飛び出して来たかのような単純な構造の顔は忘れられない。
小学生将棋名人戦で優勝した頃の私は、知性に対する敬意と依存をより強固なものへとしていた。
そして、あてつけのように、知性を有さない知的障害者を嫌悪した。
小学生名人は、小林を殴った手で駒を操り、奨励会試験を突破した。程なく8連敗し、顔の筋肉の忌々しい痙攣が始まった。
卒業を間近にすると、私は小林と悪習を行うようになった。

■8
小林の抽挿のリズムと、山ちゃんの抽挿のリズムは違う。
達するまでの時間も違う。しかし知的障害者というのは、何故か一様に量が多い。
私は山ちゃんと、農道の脇を歩いて廃寺を目指している。私の腸は、自身の本来の用途を忘れる時間を待ちきれない様子だ。
固く握り合っている山ちゃんの手も随分と汗ばんでいるのが伝わって来て、私はそれを夏の暑さのせいではない事を願った。
向かいの田んぼで、老いた農夫がJA共済のタオルで顔の汗を拭い、稲のすぐ脇に走っている小さな水路に痰を吐いた。

■9
山ちゃんのペニスは膝上まである。
小林のペニスは小学六年生として並みの大きさだった。小林と山ちゃんで抽挿のリズムが違う理由はここにある。
山ちゃんは幾ら注意しても外で出してくれない。進化人間は動物的本能に従って生きるため、ペニスの快感に簡単にのまれてしまうのだろう。
なので私は毎度、山ちゃんの精液を直腸粘膜からじかに吸収するハメになる。
直腸やヴァギナ、目などの粘膜器官は、ものを吸収するのに非常に長けている。以前、東欧の貧困層の若者が覚せい剤や酒を尻から摂取する映像を見た事がある。
それほど直腸というのは吸収効率が良い。
先ほど私の中に放たれた山ちゃんのDNAは、直腸から私の体に余すことなく吸収され、今も私の爪や髪の毛になっている。
この一秒間にも、私の爪と髪の毛は、一ナノメートルずつ、ゆっくりと、目に見えないスピードで伸びている。

■10
法華経を教えていると、山ちゃんはやはり途中で飽きてしまう。
私は暇になり、肛門がひりつくのを感じつつ、いつもそうしているように、廃寺の腐った木の床に寝転び、天井を見上げる。
この廃寺を囲む農業水道と水田がもたらした湿気が、天井に巨大なカビを咲かせている。
山ちゃんに犯された後だけ、そのカビが、詰将棋に見える。
私が小学生名人だった頃から今まで、何らかの模様が詰将棋に見える事はなかった。

しかし、山ちゃんに直腸を犯された時だけは、その限りではない。

私が体に取り入れた知的障害者の精液には、何か不思議な効能があるのだろうか。
ふと私はゴメオという液状の幻覚剤を思い出した。短い注射器を使い尻の中にゴメオを注水すると幻覚が見えるというものだ。
山ちゃんのような仏性の権化である知的障害者の金玉袋の中では、幻覚成分を含んだ精液が製造されているのかも知れない。山ちゃんは我々健常者より進化した生物だから、不思議ではない。
ここで悪習を犯すたび、私は尻から熱い精液と腸液を垂れながら、この不思議な詰将棋を見上げる。
天井中を覆っているこの巨大な詰将棋は、何手で詰むのだろう。恐らく百手、いや千手は必要かも知れない。
この作品は、そもそも将棋で用いられるマス目の総数八十一と、駒の総数四十枚をはるかに越えている。
この問題を解くためには、何度もここに通う必要があるだろう。
天井の梁の近くに咲いている、ひときわ大きな黒カビが、相手の王様だ。


あの黒カビを詰ますまでに、しかし山ちゃんは法華経を覚えられるだろうか。
あの黒カビを詰ますまでに、しかし私は四段に昇段できるだろうか。
だが、あの黒カビを詰ますまでに、私が可能な限り、この廃寺で幾度も腸を犯される事だけは確かだ。陳腐な文言になるが、この愛は永遠に終わらない。
私の尻から精液まじりの屁が汚らしい破裂音とともに飛び出て、それに喜んだ釈迦如来が隣で大笑いしている。
天井の詰将棋は、とても解けそうにない。
三十八手目 同銀引か、同銀右か。
どうも、到底わかる気がしない。
私はやはり、メチルアルコールを飲みたくなった。