ギニョっち通信

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次にヒットする新興宗教の作り方

次にヒットする新興宗教の作り方を考えました。
ひかりの輪」「生長の家」が最善に近いかもしれない、という結論に至りました。
急いで書いたので支離滅裂な部分があるかもしれないので、よければ指摘してください。
また、なるべく多く引用や出典明記をしています。
※表記揺れがあります。「原始仏教」「初期仏教」という単語は同じ意味です。
次の七点が鉄則です。

伝統宗教の権威を笠に着る
②既成宗教へのアンチテーゼを打ち出す
④即物的修行法
③宗教の持つ現実主義的側面を打ち出す
⑤宗教への邪道的ニーズへの対応
宗教多元主義相対主義
⑦現実主義的解釈
⑧人文・自然科学の包括
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伝統宗教の権威を笠に着る
現代に、たとえば日本に国生み神話を唱える自称・神が現れても、カルト扱いを受けるでしょう。
現代にムハンマドやイエスが現れても、統合失調症とかてんかん患者として扱われるでしょう。
仮にあの時代にムハンマドやイエスが生まれなかったら、今の世界中のクリスチャン・ムスリムは、今日、別の神を信仰していた事でしょう。
日本神話の時代にオウム教団があったとしたら、もしかしたら今日、千代田区の皇居の位置に麻原の子孫が住み、国費でオウム真理教の儀式が執り行われていて、
そして近畿地方に国生み神話を唱える自称・神が出現してカルトとして好奇の目で見られていたかもしれません。
「古い宗教だから」という事で信用を得られる=危険視されないという現象は普遍的にあります。

●現在の日本仏教は偽物
オウム真理教幸福の科学も、新興宗教はよく伝統宗教を標榜します。
典型的な例で言えば、初期仏教回帰を唱える阿含宗ですね(私は最初、阿含宗を伝統宗派と勘違いしました)。
あるいは神道系の信仰宗教も、そっくりそのまま伝統宗教に擬態している事もあります。
伝統宗教にの権威を笠に着る、あるいは伝統宗教に擬態する事で、信者となりうる層の警戒心を説く、という戦略は、今まで数多の信仰宗教が取ってきました。
実際に、初期仏教回帰を唱えるオウム真理教が人気を集め、また島田裕巳中沢新一のような識者に支持された要因に「現在の日本仏教の堕落」があります。

岩田文昭「宗教研究への視点―オウム真理教宗教学者―」から引用
オウム真理教をある程度支持した知識人に共通していえるのは、彼等がいずれも現状の宗教界や世界のありように
否定的見解を持っているということである。現状に対する強い問題意識があるあまり、それが「反社会的」なオウム真理教への共感として現れているのであろう。
しかしいうまでもなく現状を否定する運動がすべて正しいわけではない。”

日本仏教の堕落や、宗教全般に見られる教義の変化の原因、「メタファー」「方便」など宗教について考える際に必須の概念について、簡単に説明しました。
長いから読んでられない、という方のために短く説明すると
「現存する仏教経典は99%偽物で、初期仏教と日本仏教は全く教えが違う。全ての宗教は一時的な必要性によって、動機が善意であれ悪意であれ、教義を変化させる」という事です。
http://kimginyon.hatenablog.com/entry/2018/03/25/045346
若干長いですが各章ごとになるべく興味を惹くような事を書きました。宗教に詳しくない人が読んだら宗教に対してのスタンスがガラッと変わります。
もくじ
●葬式仏教
●異なる社会倫理との接触―セックス・スカトロ仏教―
●無教養者への迎合―仏が異教の神をボコボコにして改宗させる神話―
●メタファーの読み間違い―イスラム教の豚肉禁忌―
●教義の偽造―仏教教典は99%偽物―
●翻訳で変質する教義

仏教について勉強し始めた人は「経典が99%偽物、釈迦の教えと日本の仏教はほぼ別物」という事実に動揺するでしょう。
現在も日本の仏教オタクなんかは、よく現在の日本仏教を批判し、チベット仏教・後期密教・初期仏教を礼讃します。そういう人の受け皿になったのがオウムでした。
オウム真理教は初期仏教回帰を唱えました。当時の日本で初期仏教回帰を唱える団体は少なかったので、単純にその分の需要がオウムに集中しました。
同時期に初期仏教回帰を唱えて人気を博したのが、かつて麻原や林郁夫も信仰し、さっき例に出した「阿含宗」です。
また後期密教や宗教ヨーガを大々的におこなう団体もオウムくらいしかなかったので、その需要も集中しました。空中浮遊写真だけで41000人の信者を集めただけではありません。
もし麻原が、仏教・キリスト教ヒンドゥー教の要素を排除した、全く新しい世界観を打ち出したならば、先述のタイプの需要も生じず、また知識人からの支持もなかったでしょう。
歯医者はコンビニより多いと言うが、寺などの宗教施設もコンビニより多い日本において、伝統宗教の権威を笠に着ない教団は規模を拡大する事が難しいと考えるのは自然でしょう。
時に「乗り終わったイカダ」に固執して陸にあがろうとしない伝統宗教を批判し、時に「今だから必要なイカダ」に乗らずに頑なに航海しようとしない伝統宗教を批判する事は、新興宗教の常です。

また、時間経過が宗教に与える恩恵として、宗教が文化・生活レベルで市民社会の中に馴染み、また社会との様々な衝突を経て、角が取れて丸くなる(世俗化する)という、
ほとんどの宗教に見られる現象があります。創価も幸福も一向宗も法華系教団も同様です。また逆に、社会との衝突によって、更に教団が先鋭化するという場合もあります。

麻原彰晃の死刑執行時の朝生で、田原が「このままじゃ100年後には麻原はもっと神格化されますよ」と言い、パネリストも一様に頷いていた。
精神衰弱に対して治療を施されず、むりやり死刑を執行される麻原の姿は、キリスト教の受難、つまり正当な手続きを踏まず、不幸にも磔刑に処されたイエスとかぶって見える。
一向宗や法華系宗教を見ればわかるに、体制側から不当に弾圧された経験のある宗教は(宗教に限らないが)、その悲哀の歴史を旗印とし、より強く団結するのが常だ。

これからヒットする新興宗教を作る場合、必ず、オウム真理教のように伝統宗教を土台にする必要があるでしょう。
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②既成宗教へのアンチテーゼを打ち出す
先ほどの「伝統宗教への回帰」とは逆方向で、伝統宗教の権威を貶める手法です。これに関しては①の項目と同じような内容です。

後発の宗教は、それ以前の宗教を否定する事で権威を得る、あるいは教義を進化させるという現象があります。これは宗教史で常に繰り返されてきた戦略です。
コーランは「論争の書」と呼ばれ、イスラム教以前に既に人気を博していたキリスト教ユダヤ教の教義の矛盾や脆弱性をあげつらう事にページ数が割かれています。
オウム真理教が組織された頃に既に人気を博していた幸福の科学の教義を否定する目的で、麻原彰晃は「真実の仏陀の教えはこうだ!幸福の科学の会員よ聞きなさい!」という本を著した。
私もちょっと目を通して見たが、「麻原流仏教・キリスト教vs大川隆法」のような異端対異端の構図と、「正統な仏教・キリスト教vs大川隆法」という正統vs異端という構図の割合は拮抗しているように見えた。
その本の出版と同年に放送された「朝まで生テレビ」で、幸福の科学(大川不在)とオウム真理教が討論したとき、幸福の科学は「大川総裁が言ってるから正しい」を繰り返し、
オウム真理教は、”麻原流仏教”だけでなく、仏教経典や教義の変遷について学術的に検証された範囲に限っては正しく語り、識者は一様にオウム真理教が勝利したと判定した。
この放送を期に、島田裕巳中沢新一のような、初期仏教回帰あるいは現状の仏教界に否定的な識者は、オウムを「初期仏教的・意欲的である」として支持するようになった。

実際のところは、■lll.「宗教体験」としてのオウム真理教によれば、仏教学者のほとんどが「オウムは仏教ではない」としている。
小室直樹も「日本人のための宗教原論」で
オウム事件ほど日本宗教の致命的欠点いや、宗教不在を如実に証明してくれたものはない。この意味で、オウムの功績は極めて大きい。
日本の宗教家と宗教学者、宗教評論家がどんなに宗教無知であるかは、彼らのオウムに対する反応を思い出していただければ明らかである、
彼らのうち、ただひとりも、オウムは仏教ではないと断言しなかった。」
と断言している。

さっきも引用しましたが
「宗教研究への視点―オウム真理教宗教学者―」において述べられたように
オウム真理教をある程度支持した知識人に共通していえるのは、彼等がいずれも現状の宗教界や世界のありように
否定的見解を持っているということである。現状に対する強い問題意識があるあまり、それが「反社会的」なオウム真理教への共感として現れているのであろう。」
同じことを小林よしのりが著書「オウム的!」で言っていた(ちなみにこの本は、その箇所以外は本当に低品質な内容だった)。
無知ゆえに擬似無神論に浸っている世論にとってかっこうの嗜虐対象として攻撃されているオウム真理教が、宗教インテリには「受難」のように見えたのだろう。
あるいは擬似無神論の持つ醜さの、ある種のシンボルに見えたのだろう。

擬似無神論というのは、私の勝手な造語です。該当する語句がないようなのでつくりました。
横道にそれますが、無神論の「論」とは「論理」の「論」です。ただ単に漠然と神が居ないと思っている、あるいは宗教に忌避感があるだけの人、は「無神論者」ではなく、「神が居ないと漠然と思っている人」です。
無神論者」を名乗るならば宗教と哲学に精通していなければならないと思う。

で、「既成宗教へのアンチテーゼ」の「既成宗教」というのは、「新興宗教」も射程に含まれる。

やはり、今あげた二つの教団の影響で、「新興宗教」と聞けば大半の人が超能力系宗教をイメージするだろう。
これらへのアンチテーゼとして、後述するように「宗教の持つ即物的側面を打ち出す」事によって差別化をはかれるのではないだろうか。
ひかりの輪がそうしているように、オウム真理教のような超能力教義を批判し、宗教の現実主義的・即物的側面の強調に終始する事も重要だろう。

我々一般市民が観光などで宗教に触れるタイミングといえば、お賽銭、願掛けなどの願い事、のような呪術的信仰ばかりだ。
宗教=呪術的信仰というイメージが根付いている。高い金で布施や仏壇購入をして祈れば幸福になれる、というようなギャンブル性のある信仰は現代人はまっぴらごめんだろう。
ここで一つ、「即物的修行法」が重要になってくるように思う。
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③即物的修行法

先述のお賽銭のように、存在するかどうかわからないものを崇める、また「神頼み」のような信仰形態を宗教をここでは「呪術的宗教」。
哲学のように科学的方法論で理論・哲学体系を有し、必ずしも教義の上で神の存在が重要でない宗教をここでは「即物的宗教」と呼ぶ。
前者は神道。後者は仏教だ。キリスト教イスラム教もユダヤ教も、とても高度な哲学体系を持っているが、その理論の根底には「神」が重要な位置を占めているので後者には分類しない。
西洋哲学が発達した原動力も、「神」を足場とした哲学からの脱却をはかった点にある。

「変性意識状態」という言葉をご存知だろうか。
座禅やヨーガ、修験、念仏、踊念仏、ゴスペル、などの身体行法・瞑想を行うと、「変性意識状態」になり、神や世界と一体化するような気分、或いは精神の安定や高揚、宗教的哲学的啓示が得られる。
古代宗教では、呪術的宗教・即物的宗教ともに、幻覚剤や麻薬が瞑想・儀式に使われ、例えばマジックマッシュルーム自体への信仰なんかも生まれた。
実在するかどうかもわからない神仏のために、高い仏壇を買ったり、賽銭を投げたり、お布施をしても、変性意識状態のような、修行の成果を実感する事が得られない。

その点で、オウム真理教は「即物的修行法」つまり変性意識状態によって、修行・信仰の成果を実際に体感できるような修行体系を作った。
ヨーガ、LSD、不眠、断食、そして五体投地などの激しい運動により、信者は変性意識状態にスイッチしやすい状態に置かれた。
そして、例えば徹夜でのヨーガ中に幻聴・幻視・幽体離脱などの神秘体験を実感し、更に信仰を深める、などの現象が起こった。

現代市民は合理的だ。呪術的信仰よりも、現世利益―つまり変性意識状態での快感や啓示―を重視する。
宗教は産業であり、商品である。リターンの得られるかどうかも確定しない商品を購入するような形態の宗教(呪術的信仰)よりも、
やはり現実的なリターン(変性意識状態)を得られる商品を買いたくなるのが現代の資本主義社会に生きる市民の考え方だろう。
このような「現世利益」には法則⑤における「講」としてのメリットも含まれる。

また「変性意識状態は、脳のAという物質がBに作用しているだけの物理的現象」という無神論者も居るだろう。
そのような無神論者はまさに「現象に名前をつけただけで、意味を固定化した気になって安心している」だけの「無明」の最たるものだろう。
脳のAという物質を作ったのは神かも知れない。Bに作用する現象を司るのは神かも知れない。そもそもその現象を観測する能力を創造したのは神かも知れない。
脳のAという物質は、どこから来たか?Bという物質とCという物質で構成される。BとCは、DとEという物質から構成される。DとEは…と遡る。
暫く遡ると、宇宙にたどりつく。次は、そもそも宇宙はどこから来るのか?ビッグバンだ。
ビッグバンはどこから来るのか?(現在の仮説では)特異点だ。じゃあ特異点はどこから?現代科学はここから以前に遡れない。そもそもビッグバンは神が起こしたかもしれない。
若干上記の過程とは違うが、トマス・アクィナスはこのようにして、もの・こと の原因を遡り続ける事で神の存在証明を果たそうとした。

また科学とは「観測できる対象がそのような法則で動いている」という事を証明するだけの行為だ。
空間が三次元である事を我々は証明出来るが、なぜこの世界の空間が三次元になっているについてはわからない。
この辺の、宗教と科学が別の分野である事については池内了「物理学と神」に詳しい。この本の冒頭は全ての日本人にみてほしい。

④宗教への邪道的ニーズへの対応
これは予想だが、恐らくオウム信者の中で「神秘主義的な実践修行を行える環境が整っているから入信した」というケースも多いだろう。
無論、先述のように日本仏教の堕落への反動として入信したようなケースもあるだろう。
単に孤独感から、共同体に依存したくて入信する人も居れば、変身願望の発散を願い入信する人も居る。以前ドキュメンタリーで見たが、夫からのDVから逃れるために入信するような場合もある。
宗教に対するニーズは多様だ。オウム真理教をはじめとするカルト宗教のドキュメンタリーなどにも、ただ単に居場所・依存できる対象を求めて新興宗教を転々とする信者というものがよく登場する。
(私はこれを「ドクターショッピング」になぞらえて「ゴッドショッピング」と呼んでいる。自分に都合のよい医者=神を求めてそれを渉猟する行為をさす。)

横道にそれますが、小澤利夫という人が居る。創価学会で幹部になる→幸福の科学で幹部になる→キリスト教に改宗 という宗教遍歴の人が居る。
その人は、創価時代と幸福時代に折伏(布教して入信させること)した人々を、こんどはキリスト教折伏して回っている。非常に面白い人生を送っている。

また、無人講とか頼母子講とか聞いた事がある人もいるとおもうが、浄土系教団や創価学会は「講」つまり互助会としての機能=現世利益としての需要から、下級労働者層から人気を集めた。
宗教の需要にはそういうものもある。
宗教学者島田裕巳は、都市部に集団就職などで労働に従事していた下層階級が創価学会に吸収されなければ、彼らは革命を試みただろう、とまで言っている。
また、同じように、社会体制のひずみによって市民がアイデンティティ・精神的支柱を失った時も、宗教が伸びる。
敗戦まもない日本では多くの新興宗教が誕生した。これを宗教学的には「神々のラッシュアワー」と呼ぶ。(かっこいい用語だ)
オウム真理教幸福の科学は逆で、バブル期―経済的に急速に豊かになる過程―に飛躍的に信者数を伸ばした。これには地方から都市部に来る人間が増え、彼らが創価学会集団就職と同じくアイデンティティを求めたという側面もあるだろうが、
バブル景気の豊かさが人間の心にひずみをもたらしたという側面も幾らかあるかと思う。

宗教団体は信者数を誇張して自称する事が常なので実際の信者数はわからないが、
島田裕巳「宗教消滅」によれば、幸福の科学の刊行するザ・リバティ2013年10月号にて「大川隆法のどの本を最初に読んだか?」というアンケートの回答には”1980年代の終から90年代のはじめに刊行された本が上位を占めていた”とある。
この数字から”幸福の科学の場合も、統一教会と同様に、信者の中核を占める人間たちは、同じ時期に入信している可能性が高い。1990年前後の時期である。しかも、それ以降は、それほど多くの信者は入信していない。”
とあるので、やはり創価学会統一教会やオウムのようにバブル期に都市部に人が移動した際、アイデンティティやコミュニティとしてのニーズが宗教にはあるのだろう。

また一例だが竹下節子「カルトか宗教か」によれば、外国に留学・出張・移住している日本人が、現地で孤独感に苛まれた際に、現地の日本のカルト宗教(手かざし系が多いそう)に勧誘され、反動で入信してしまう事が多いと紹介されている。

ロシアでは、オウム真理教の信者数が1年で3万人にもなったが、ソ連崩壊直後であったためロシア人の精神的支柱が揺らいで居たことが、爆発的な信者数の増加の要因ともされる。
日本経済はこれから凋落すると盛んにいわれている。

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⑤宗教のもつ現実主義的な側面を強調する。
これはまあ「現実主義的」というか「合理的」「即物的」と表現したほうが妥当かもしれない。
「仏教は宗教ではない。哲学だ」というのは、宗教的に無知な多くの市民の関心を引く事実だろう。これについては冒頭の記事で解説した。
実際にオウム真理教も盛んに「仏教は科学だ」と売り文句をかかげていた。
この場合の「科学」とは「自然科学」だけでなく「人文科学」も含む。つまり「仮定・実証・反証・統計」などの「科学的方法論」という意味だ。
自然科学でいえば、よく量子論と仏教の共通点について麻原は言及していた。
ダライラマも「量子力学と仏教は同じ事を言っている」などと謳う。

エネルギー保存の法則において、物質とエネルギーは作られる事も壊される事もなく変化だけする。
仏教徒はこれに賛同し、この理論を心にまで拡張できると考える。
仏教における心とは、現象の認識ー意識的であれ無意識であれーを意味し、現象認識は生じる事も壊される事もなく、ただ変容する事のみが可能となる。
それゆえ、輪廻転生とは、個人の現象認識が継続し続ける連続性(心相続)の中で単に変容することで、その連続性(心相続)の変容が転生した他の体という物質的土台で起きる事です。”

素粒子物理学者が何かを定義する時は観察者の役割を強調します。例えばある観点から光は物質であり、他の観点からはエネルギーです。
光がどのような現象として存在するかは、数多くの要素に依存し、特にそれを分析する研究者の概念体系に依存します。
それゆえ現象はそれを認知する意識と無関係に自立して存在していません。
仏教では同様の見解あり つまり物事がどう存在するかは、観察者とその概念体系に依存する。
ある状況が解決不可能か否かは観察者、つまりその問題に関わる者による。”
”神経学と仏教とは、物事は依存して生ずる(相互依存の縁起・因果の確実性)と考える。
「私」が決心し実行するのではなく、数多くの因子の非常に複雑な相互関係の結果である。”

若干こじつけっぽい?
ひかりの輪(宗教ではなく宗教教室だが)は、「自然科学と宗教の融合」の可能性については一部否定している(上祐史浩216『宗教と哲学について、科学と非科学について』)。

「宗教=迷信じみた蒙昧」「科学・理性こそ至高」だと考える現代市民にとって、
仏教・イスラム教・キリスト教の持つ高度な理論的性格および科学的方法論で築かれた哲学的側面は、抵抗のないものだろう。

特に日本において、市民が宗教と触れる側面はお賽銭、絵馬、願掛け…などの「呪術的信仰」だけだと言った。
呪術的信仰の象徴である日本神道。仏教のように理論的哲学的な体系を全く持っていない(これについては島田裕巳神道はなぜ教えがないのか」にくわしい)。
日本神話を元にした神道的哲学体系を作ろうとした神道系の宗教家も若干いたが、いずれも大成していない。

日本人は、せっかく近所中に寺があるのに、仏教のもつ理論性に触れていない。
次にヒットする新興宗教においては、宗教的に無知かつ、それゆえ宗教に否定的である市民が抱く「宗教=呪術的信仰」というイメージと全く逆の様相を呈す事が、最も手っ取り早い広告の方法だろう。

多くの哲学者・心理学者は仏教に影響を受けた。
カール・ユングも、「人間の外側に定立する神々への信仰によって救済される宗教性にはそれほど多く関心をはらわなかった。
つまり、ヨーガのような人間の内面の心理操作に向かう宗教性を研究していた」(「ユング心理学密教」より引用)
また西洋哲学と仏教哲学に多くの共通点がある。

西洋哲学でいえば、カントの「物自体」も、仏教の「無明仮説」とよく似ている。私は哲学にすごく疎いのでいい加減な考察だが多分これで合っていると思う。
カントは「人間が物を見る時、自己の中のバイアス(偏見)によって形を変えた物しか見る事ができない。つまり物自体を見る事ができない」と説いた。
この「物自体」は長年、西洋哲学のメインテーマとなってきた。
仏教では西洋哲学の遥か以前に「人間が物を見る時、自己の中の無明(偏見)によって形を変えた物しか見る事ができない。なので瞑想や座学などの修行によってその無明を払拭すると、
”物自体”が存在しない事を知れるし、幸福になる」と説かれた。
「西洋哲学は、仏教が大昔に開いた道を歩いているに過ぎない」とする人もいる(言い過ぎかもしれない)。
仏教が、願掛けとかお賽銭とか呪いのコンテンツではなく、大部分のセクトが理論的なのだという事を知って頂きたい。
また僧侶の南直哉が、仏教における「無明」を「言語世界」と解釈した。言語について哲学したウィトゲンシュタインソシュールと同じような事を言っている。

科学は常に未実証の部分を持つものだ。よって全ての科学は宗教であるとも言える。
「1+1=2」という計算と「朝食を食べる→成績がよくなる」という計算は、前者は疑問の余地がないが後者には疑問の余地がある。
後者が計算しようとしているのは「人間の意図や行為が介在する社会的現象」なので、事実の説明の際には研究者自身の「解釈」が多分に含まれる。
社会学や心理学全般は、よく疑似科学だなどと評されている)
「朝食を食べるから健康になるのではなく、朝食をきちんと摂らせるような家庭はそもそも環境のいい家庭だから、子供の成績がよくて当然」という見方も可能(擬似相関)。
ホンマでっかTV」は、今挙げた擬似相関とか恣意的な解釈が含まれたデータばかり評論家が喋っているので意識してみるとわかりやすいとおもう。

宗教と科学の領域が違うという事は後述する。
また、科学に明るい人間ほど、科学の不完全性を痛感する。遠藤や土谷などの理系エリートが、オウム真理教に入信するに至った動機がそれを如実に象徴している。
オウムに入信したエリートを「お勉強ばかりしていたから、ものを疑う力がなくてオウムに騙された」と寸評している人が居るが、逆の例がいくらでもある。
遠藤は遺伝子研究の際に「人間は本当に遺伝子という物質から開始した物質でしかないのだろうか」と考え詰めた挙句、オウム真理教に答えを求めた。

こんな話がある。個人名を忘れたが、確かどこかのサイトでちゃんと個人名が書かれてたと思う。
欧米のLSDの研究者がインドに行って、宗教修行者にLSDを食わせてみた。
修行者は、LSDが満杯の瓶を研究者の手からひったくり、発狂しても不思議ではない量のLSDを飲み干した。
LSDは普通、摂取してから数十分経過してから効果が現れるが、致死量ギリギリの量を摂取したのですぐに効果が現れた。
その修行者は、常人なら発狂しかねないほどのLSDの効果の中、研究者の目を見て、にやりと笑いつつ平然とこう言い放った。
「私の悟りよりも、少し弱いな」
この件を期に、研究者は宗教研究に身を投じるようになった。

オウムの理系エリートのように、
ものを疑う力が非常に強く、最終的に科学的プロセスで証明できない事象にぶち当たったとき、人は空論に賭ける。南直哉も「賭ける仏教」で同様の事を述べた。
真理に触れる事が怖く、敢えて蒙昧にひたり続けるひとびとこそ、蒙昧という神を信じている。私は挑戦者たる全ての宗教者を尊敬している。
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■余談 LSDオウム真理教
オウム真理教では「キリストのイニシエーション」と称される儀式が行われていた。
遠藤が製造したLSDの紙片を、麻原が口に含む。そしてそれをジュースに吐く。それを、信者が飲む事でトリップする。
井上嘉浩死刑囚の獄中手記によれば、キリストのイニシエーションで一人の信者が摂取するLSDは150マイクログラムである。
で、このイニシエーションは、一度に複数人の信者に実施されていた。
仮に5人だとしても、麻原はキリストのイニシエーションに際して5人分のLSDを一挙に口に含む=摂取する事になる。
量として150*5で750マイクログラムだ。私の経験則から言えば常人なら(一時的に)発狂する。
というか私は合法LSDを150ないし100マイクログラム摂取しただけで、オナニー中にバッドトリップに入って泣いてしまう事が三回あったので、
750マイクログラム摂取すれば、人間がどんなに頑張っても、薬効が切れるまでは外面的に平常心を取り繕う事すらできない。しかもそれ程の量ならば、薬効が切れるまでかなりの時間がかかる。
以前聴いた森達也のラジオに元オウム出家信者がこんなメールをしていた。
「麻原は稀代の役者だ。四六時中信者に囲まれつつも、疑念を抱かせなかった*」
これほど大量のLSDを摂取した上で、喚き散らしたり取り乱さずに平然を装っていたならば、それこそまさに麻原は超人だという話になる。
ひかりの輪代表の上祐氏に、一度の被施術者の人数などについて詳しく質問するメールを送ったが返信はなかった。
上祐史浩オウム事件17年目の告白」や元信者の発言などでは、まあまあ疑念を抱かせるようなタイミングがあったとの旨が書かれている。


たまに「キリストのイニシエーション」が洗脳行為だとする人がいるが、修行の実際の内容は
LSDを摂取し、小部屋に入る。小部屋には麻原のポスターがある場合もある」「ヘッドホンで麻原の説法・マントラを聴く。聴かない場合もある」これだけだ。
LSDなどの薬物を使って偽の記憶を作ったり人格を破壊するような事も実際に可能だ。だがそのような行為が行われた例は、確かに存在したが、ごく一部だ。
LSDの効力を麻原の超能力だと偽っていた事はある種の洗脳と呼べるだろう。

LSDで殺されかけた信者が居る。先程も名前が出てきた、井上嘉浩死刑囚(アーナンダ正悟師)だ。
井上嘉浩死刑囚(アーナンダ正悟師)は、麻原に嫌われていたオウム幹部だ。
教団の行った非合法行為(裏ワーク)の大部分に関与し、麻原に信頼されていたが、一度戒律を破って教団内で恋愛をしてしまって以後、
麻原から井上への猜疑心はどんどん大きくなっていった。

井上の逮捕後の手記によれば、ある日井上は、麻原に1mgのLSDを飲むよう強要された。
LSDの1回の摂取量は普通0.1~0.15mg(100~150マイクログラム)なので、普通の摂取の10倍の量!
井上はすぐに吐き出して半日気絶したそうだが、吐き出したくらいで、一旦嚥下した1mgのlsdの薬効が消えるとは思えない。
超高濃度のLSDは、経口摂取でなくとも、指で触れるだけでトリップするものだ。
LSD開発者アルバート・ホフマン博士や、LSD密造工場に家宅捜索した東欧の警察官なんかも、高濃度LSDに誤って指で触れただけで長時間トリップしてしまったほどだ。
(東欧の警官については、彼を採り上げたドキュメンタリー番組のタイトルを忘れてしまったため詳細はわからない)
また、LSDによる人格変容と聞いて思い出すのが「MKウルトラ作戦」だろう。文書の大部分が破棄されて真相はほとんど迷宮入りだそうな。

youtubeにアップされている、オウム報道番組の動画には「LSD入りのジュースには粘り気があった」とする証言があるが、LSDに粘り気はない。
また「数分で効果が出た」という証言もあるが、150マイクログラム程度のLSDなら40分以上経過しないと効果が出ないと思う。
そもそも土谷と遠藤はLSDの原材料の輸入に失敗したので、仕方なくエルゴタミンとエフェドリンを主原料にする独自製法でLSDを製造していた。
なのでその主原料だと「LSD25」という物質になるのか?と、化学が全くわからないなりに疑問を感じたが、
遠藤がLSD覚せい剤、メスカリン密造で起訴されているのを見るに、少なくとも法規制されているLSD系物質は製造できたのだろう。

強制捜査オウム真理教施設から発見されたLSDの総量は115g。1回100マイクログラムでも1150回トリップできる。
私は合法LSD摂取時は1回50マイクログラムにケチるので、同様に1回50マイクログラムにケチって摂取すると2300回トリップできる。

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⑥ 宗教多元主義相対主義
イスラム教の異教徒への迫害などがニュースで取り沙汰され、日本人は「宗教は異教を排斥するもの」というイメージを持ちがちではないだろうか。
実際に、日本最大の新興宗教である創価学会をはじめとした日蓮系教団の攻撃性もそのイメージを助長している。
やはりこれからの宗教は、そういう事情も踏まえて、宗教多元主義の方が人気が出る。
宗教多元主義とは、インドの思想家・ヴィヴェーカーナンダの言葉を借りれば「宗教の教義上の違いは矛盾ではなく、一つの真理に対する異なったアプローチである」とする思想。

「一つの教義に真理は収まりきらない。多様な宗教の全体が真理である。真理とは狭量なものではなく、ひたすら広い。
それは仏教もキリスト教イスラム教もヒンドゥー教もすべてを含む彩り豊かな全体としての神の啓示である。」つまり、「真理とは相対的なものである」という事だ。

人によって真理は違う。人によって必要な神は違う。キリスト教徒にとってはヤハウェが神で、イスラム教徒にとってはアッラーが神で、オウム信者にとっては麻原が神だ。
冒頭の記事でも述べたが「神」とは相対的なものだ。

また、キリスト教徒で宗教哲学者のジョンヒックは「あらゆる宗教が唯一の神的実存のまわりをまわる」とするコペルニクス的転回を主張した。
「太陽は神であり、キリスト教などの宗教は太陽の周囲をまわる諸宗教である」
 ヒックは、宗教的な真理を、文化及び個々の人間に対して相対的なものとして見るというものとした。
 様々な宗教は、それぞれがその文化や伝統などに基づいた形での「真実在」への適切な応答だとみなす。

文頭の記事で詳しく述べたが、オウム真理教に対する批判は、主に麻原の聖性を批判する事に終始している。愚民の行為だ。
youtubeの「オウム道場巡り」を見て頂ければわかるが、これは単なる挑発に過ぎない。こんな事を大マスコミがしていたのか?

トランスパーソナル心理学入門」において、トランスパーソナル心理学専門家・諸富祥彦は
「それを見る人間から切り離された、それ自体で独立した真理なんてものはない。その背後には、必ずそれを見ている人間が居るはずで、
 したがって、見られるもの、知られるものは必ず、それを見る人間の視野、観点に成約されている、
 誰にとっても当てはまる真理なんてない、というポストモダン相対主義には、真理へのこだわりから人間を解き放ち、個々人の多様性を多様性として、あるがままに肯定する健全さがあります」
と表現している。多元主義のスタンスを取る宗教は平和的だし、宗教同士の抗争に恐怖感を抱く市民にとっては抵抗のないものだろう。

また、特定の宗教に属さず、ただ単に、禅のような神秘主義的な行法を教えるセミナーとしての側面を持てば人気が出るかも知れない。さっきも引用したが
禅などの東洋思想について研究しているジョン・フィリップス博士が「禅と宗教についての十五章」に寄せたことばがわかりやすい。
「人類がこれまでの割拠状態から”一つの世界”の状態に向かって急速に進んでいる時、人類の宗教もまた地方性を脱して”一つの世界”の宗教にならなければなりません。
そして、禅以外にはほんとうの世界的宗教はないのです。もっともほかの多くの宗教も世界的宗教であると主張したには違いありませんが、
ほかの宗教はどれも時と場所との地方性を持っています。つまりそれらは特殊の民族に、特殊の時代と特殊の地方に役立ったものであって、全人類・全衆生に役立ったのではありません。
それはみなある形式またはある信条を絶対的なものとみようとするあやまちを犯しました。なぜなら、これらの形式や信条は絶対的なものではなくして、
歴史的に成約されたものであるか、もしくは特殊な地理的、社会的経済的環境の所産であったからです。現代人の目は無限を眺め、さえぎるものなくつねに拡大しつつある宇宙を眺めているのですから、
現代人の必要とする宗教もまたかれらの宇宙のように、その中心をいたるところにもち、その周辺とてはどこにもないものでなくてはなりません。
人間が所謂宇宙時代に入り、探求と発見の全然新奇な時代に入るとともに、特殊な地方における特殊な事件に立ったこれまでの宗教は、
人間活動の広まっていく範囲内においては、ますます適切でなく感ぜられるでしょう。禅が西洋人を惹きつける理由は、なにはともあれ、その絶対的普遍性にあります。
禅はなんら固定した概念と結びつかないので、信条化した概念から必然的に起こる地方性を持っていません。
禅は歴史に立脚せず、地上のどのような地点にも立脚していません。禅の意義はどのような一連の形式にも、どのような時代の事件にも制限されません。
また、禅は決まった未来的展望にも制限されません。ですから、それは絶対的普遍性をもち、人生の実相に関心を持つあらゆる国の人に向かって語る正当な資格を持つものです」
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⑦現実主義的解釈
「即物的解釈」と言ってもいいだろう。

「神話」というものがあるが、全ての宗教信者が、荒唐無稽な絵空事である神話を鵜呑みにする=原理主義的なわけではない。
神話を「メタファー(何らかの暗喩)」や「アレゴリー(有益な寓話・譬え話)」として、現実的に解釈する者も居る。

仏教僧侶にも、仏教の神話的側面(輪廻転生地獄天国カルマ)を全く字義通りには信じず、ただ仏教の持つ哲学的側面のみを信仰している者が居る。小池龍之介がそうだろう。
また宮崎哲弥も同様の信仰スタンスを取っており、自身を「仏教徒」ではなく「仏教者」としている。先述の通り「仏教とは哲学である」と解釈しての信仰の典型例だ。

無学な下層階級に対しては、特に科学による万能感と倫理教育が欠落していた大昔においては、このような絵空事(方便)によって、時に恐怖、時に幸福を煽りたて、思想形成を促す必要があった。
それが暴走すれば、部落差別の起源となった「ケガレ」思想や(神道のケガレ思想に崇高な含意があったかは知らない)、豚肉食への迫害などが発生する。

モーセが海を割った行為は「実際は橋みたいなものがあって、それの暗喩」など、後世の科学者達が解釈に頭を悩ませたが、これは「現実主義的解釈」ではなく「合理化」だ。
「当時の人種対立の暗喩」とか解釈するのが即物的解釈だろう。

神話を真実として解釈するのではなく、全て「方便」「メタファー」「アレゴリー」として解釈してしまえば、現実主義的な現代市民には抵抗のない教義を形成できるだろう。
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⑧人文・自然科学の包括
先述のように、科学(物理学などの理系科学)は無神論を権威付けるものではない。
以下は「物理学と神」からの引用である。
ニュートンは、木から落ちる林檎の運動と太陽をめぐる惑星の運動は同じ万有引力によって引き起こされており、その力の強さは距離の二乗に反比例することを明らかにした。
このとき「万有引力が距離の二乗に反比例していれば、これらの運動が正確に再現できることを証明した」のであって、「なぜ万有引力の法則が距離の二乗則になっているのか、なぜ三乗則でないのか」を明らかにしたわけではない。
 つまり、科学者は、「法則がなぜそのようになるのか」という問いに答えようとしているわけではなく、「法則がそのようになっていることを証明しようとしている」だけである。
  なぜ空間は三次元なのか、なぜ光の速さは秒速で三十万キロメートルなのか、なぜ電子の質量は510ボルトなのか、などなどの基本的な問い掛けには答えることができない。
   「そうなっている」としか言えないのだ あるいは「神がそうした」のだと信じ、自然の存在そのものや自然がしたがっている法則を神の証と考える科学者もいる。
「無論、自然科学の最終目的は「「なぜ」に答えることだとする無神論者もいる」
「しかし「なぜ」に回答できない科学者は神と完全に手を切られない 」

ビッグバン仮説が(正しいなら)無神論の決定的証拠だとする人が居ますが、ビッグバンが否定したのは、キリスト教的な創造論および、ビッグバンに矛盾する、明確な創造神話を持つ宗教だけだ。
ビッグバンが神の御技だとする宗教思想を論破する事は出来ない。
というかそもそもビッグバン仮説自体、キリスト教の牧師が最初に提唱し、当時の科学界に「あまりにも創世記に似ていて、宗教的でおとぎ話じみている」と糾弾されたものだった。
個人的には、ビッグバンから空間と時間が開始し、あなたが今スマホやPCでこのブログにアクセスしてこの文章を読んでいるというこの瞬間までの、長い時間の中での様々な奇跡的な連鎖。
これら全てが単なる偶然・偶発の集合体だろうか。上位意志が存在しなければ成し得ないものではないだろうか。逆にビッグバン仮説は、上位意志の存在を証明しているものですらあると感じる。
また、これは実際のシミュレーションにおいて解説するが、インテリジェントデザイントマス・アクィナスの「神の存在証明」を用いればビッグバンすら神の行為であると解釈できる。

さっきも述べたが、科学はまだまだ未発達だ。朝飯が健康にいいか悪いかすらわかっていない。怪しい医学書も毎年大量に出ている。相反する結論の、理系学問の論文も大量に出ている。
オウムの遠藤のように、科学に詳しい人間ほど、科学の未熟さを痛感するのではないか。科学に詳しくない市民ほど、科学を論拠にして無神「論」を唱えるのではないか。
あるノーベル賞受賞者は、DNAらせん構造を発見した瞬間に神の実在を確信した。数学者ポール・エルデシュは数学を深く学ぶほど、信仰を深めた。
ノーベル賞受賞者の理系分野科学者の中で、無神論者は5割だった。残りの5割は神の存在を信じている。
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以上の8点を要約すると
伝統宗教の権威を笠に着て
・宗教の持つ現実的側面を強調し
・実際に心身に影響の出るような修行法を奨励し
宗教多元主義
・現実主義的解釈による即物的信仰を行い
・理系科学との不対立を喧伝する
このような教団が次にヒットする事になる。
どうも「ひかりの輪」「生長の家」と似ている。
というかこれだと「全ての宗教はほぼメタファーと方便で構成された実践哲学だ。人間は神の存在しか知れず、どのような神であるかは知れない」となる。単なる理神論・有神論だ。
次の記事では、もっと詳細なところまで教義をつくります。
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*冒頭記事・本記事の参考文献とおすすめ書籍
野中亮「分節する言説:江川紹子のオウム論をめぐって」 … 江川紹子がオウム批判の際に「麻原の俗っぽさ」という犯罪と無関係な部分を強調したがる点について。
池内了「物理学と神」 … 科学と宗教が全く違う領域のものである事について。「はじめに」を全擬似無神論者に百回音読していただきたい。
白取春彦「この世に宗教は存在しない」 … 「メタファー」「アレゴリー」「方便」について詳細に書かれているので全市民必読かと思う。
村井幸三「お坊さんが困る仏教の話」 … 批判から仏教を学ぶ書。特に、仏舎利についての記述を批判する人がいるが、大部分の批判の論拠が大乗経典だ。

麻原彰晃「秘密の超能力開発法」 … オウム真理教の具体的修行法について。
”「絶対幸福への道」 … オウム真理教流の「無明理論」にはじまる仏教的精神分析について。
”「イニシエーション」 … 「麻原は死後に巨人軍のピッチャーになる」「修行者は性欲がわいたら尊師を思い浮かべて性欲を滅しよう」という修行マニュアル書
”「タターガタ・アビダンマ第一誦本」 … オウム真理教が実在物として地獄天国六道などを扱っている事が明確にあらわれている。
ツルティム・ケサン、正木晃「増補・チベット密教
小室直樹「日本人のための宗教原論」
島田裕巳「宗教消滅」「創価学会」「神道はなぜ教えがないのか」
森達也「A」「A2」
南直哉「賭ける仏教」
橋爪大三郎「世界がわかる宗教社会学入門」
諸富祥彦「トランスパーソナル心理学入門」
三枝充よし「仏教入門」
田村芳朗「日本仏教史入門」
竹下節子「カルトか宗教か」
岸良範・山口豊ユング心理学密教
藤井明「インド初期密教と他宗教との関わり ―特に大自在天の記述を中心にして―」
大塚伸夫「インド初期密教成立過程の研究」
高島淳「lll.「宗教体験」としてのオウム真理教
岩田文昭「宗教研究の視点―オウム真理教宗教学者―」 …中沢新一島田裕巳の、オウムとの関わり方の問題点について。
佐藤幸治「禅のすすめ」 … 禅の教条主義否定する事について詳しく書かれている。有田芳生「あの子がオウムに!」 … オウム幹部の入信前・後のゴシップについて色々書かれている。上祐の入信理由が「怪我のリハビリにヨガを選んだ」となっているが、「オウム事件 17年目の告白」で上祐本人の弁とは異なる。
上祐史浩オウム事件 17年目の告白」 … 上祐が登場した「そこまで言って委員会」にて、この本になぜか収録が中止された原稿の内容がリークされた。
八木誠一「禅とイエス・キリスト」 … 難解。読むのに苦労した。
中沢新一「虹の階梯」 … 「オウム信者の5分の1が読んだ」と中沢が語る。チベット密教の行者の法話の口述筆記をまとめた本。「中沢自身のバイアスがかかっている文」と、岩田文昭は評する。
立川武蔵「マンダラ瞑想法」 … 瞑想によるトランス状態について、憑依体質の著者が様々な行者や聖地で修行をして調査している。
小林よしのり「オウム的!」 … ごみ。「対談者と、お互いのギャグセンスを発揮できた」という気色悪い冒頭の漫画は必見。
荒井献「イエスとその時代」 … 「禅とイエスキリスト」において「最下層にのみ奇蹟伝承がなされた」という考察が批判されている。
松長有慶「密教