ギニョっち通信

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オウムが現代人にヒットしたのは「可算感覚」

もくじ
■功徳・カルマの「貯金・消費」観
■ヘッドギアへのロマンティックな考察
■小技
■「フロイト無意識教」とオウム真理教
■ヨガのゲーム性

オウム真理教情報科学・化学・工学など様々なエキスパートが集結し、犯罪や営利活動などしていました。
そんなオウムが現代人の心を打ち抜いた理由は、教義の整合性とか既製仏教批判とかヨガの日本への導入のほか、このような考察もあると思います。

 

 

参考文献「イニシエーション」「絶対幸福への道」「超能力秘密の開発法」「十二縁起」

■功徳・カルマの「貯金・消費」観 
幸福・苦痛を量的に勘定する量的快楽主義という哲学の一派がある。
似たようなものに質的快楽主義・選択功利主義とかがある(私は哲学に疎いのでよく知りません(;_;))。
オウム真理教も同様に「功徳」「カルマ」を量的なものとした。
「カルマ」という単語は「悪い事をした結果としてもたらされる(潜在的)不幸」というイメージがあるが、それは「悪業」です。
正確にはカルマには「悪業(あくごう)」と「善業(ぜんごう)」がある。「善業」は、よい事をした結果としてもたらされる(潜在的)幸福です。
たとえば麻原彰晃は、修行の進みが速い信者の、その修行の進みの速さを「前世・今生(こんじょう 「前世」「来世」に対しての「現世」)の善業の恩恵」とし、
逆に修行の進みの遅い者については「前世・今生の悪業の結果」と説明した。
ちなみに修行の進みが速い者については、よく「前世で麻原彰晃と修行をしていた」「前世で僧侶だった」などの説明付けがされた。

オウム真理教では悪業は苦痛によって単純に償却される。
信者が不幸な体験をすれば「それは前世・今生のあなたの悪業の結果」とし、「今回、その苦痛によって悪業を償却・清算できた」ので「よかったね!」となる。
この考え方は非常に便利なものだと思いませんか?苦痛を合理化出来る。まあこの考え方自体はオウムのオリジナルではなくて古来からインド思想の根幹にあるものですが。
この理論は応用できて、たとえば信者がAさんに嫌な思いをさせられたら「それにより信者のあなたは悪業が落ちた」上に「そのAさんの悪業が増えた」し、
「Aさんが人に嫌がらせをするような人格になったのは、Aさんの前世・今生の悪業の結果」であるとし、「Aさんが救済されるように願いましょう」となる。
キリスト教の「敵を愛せ・あわれめ」の教えに似ている。
オウム真理教はこの理論で江川紹子有田芳生坂本弁護士らを「悪業のかたまり」と形容した。
また、オウム真理教には「カルマ落とし」という文化がある。ここでの「カルマ」とは「悪業」を意味する。
たとえば信者を縄で縛り、竹刀でボコボコにし、その苦痛によって一気にその信者の悪業を落とす、というものです。

で、善業と功徳。この2つは大体同じものと考えていただいて構いません。
オウム真理教では「修行をすると、善業・功徳が増え」て、「その善業と功徳が消費され、対価として自分に幸福が降りかかる」と説明しました。
逆説的に言えば、修行の更なる上達を願う信者は「自分に幸福が降りかかると、せっかく修行で貯蓄した善業・功徳が相殺されてしまう」ので、逆に自分に幸福が発生しないように願う。
功徳を成したものは死後、天界(めっちゃいい世界)に輪廻し、功徳を消耗しきるまで天界で安らぐ、と説明されました。
また、以下に挙げる例は、麻原彰晃・著「絶対幸福への道」を読みつつ私が取っていたメモです。原文はいま参照できないのでメモでお伝えします。

”第三ステージの意志の訓練により、今まで蓄えてきた善業のエネルギーが一定方向に進むようになる。
意志の極限(注・修行法)は、修行により生じた功徳が消費され、喜ばしい現象として自身に返ってくるプロセスを遮断し、積み上げた功徳を全て修行目的に充てる。
私は悟りを目指さない、という人は、訓練により一本化した意志の力(功徳)を、今生の人生の目標という使途のみに使えば必ず結果が出る。
つまり、功徳を無駄遣いせず、自身が指向する用途にのみ消費する事が意志の訓練なのだ。”
”サルベーション・エンライトメントを求める者は、次の精進プロセスに入る。精進とは、膨大な功徳を土台に、悪業を積まない条件を作り、その蓄えたエネルギー=功徳を意志の力により一定方向に使う訓練をなす。
 そしてその功徳を解脱・悟りのための方向のみに使用したとき、精進のプロセスが始まる”

カルマ・功徳を量的に換算するだけでなく、その使途までコントロール出来るんですね。
私はそれらの経典はほぼ読んだことがないですが、恐らくオウムの母体となった原始仏教チベット密教にはここまで量的に或いは物質的にカルマ功徳を扱っていないんではないでしょうか。

私がここまでで思ったのは、非常に善業と悪業を量的に換算し、まるでお金やポイントカードのように解釈している点です。
■ヘッドギアへのロマンティックな考察
以下ひかりの輪サイトの上祐氏の文より抜粋

12月頃から、パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーション(PSI)というイニシエーションが信者に行われるようになりました。
 報道では、よく「ヘッドギア」と表現されていたものです。麻原の脳波を電気信号にしたものを信者の頭に贈り、信者の脳波を麻原の脳波に近づけるというイニシエーションです。
  麻原によれば、通常の人間の脳波には波があるにもかかわらず、麻原の脳波はフラット(平坦)になっており、これは脳波が煩悩から解放された高い悟りの境地にあることを
   科学的に証明しているとのことでした。(中略)しかし、そもそもこの平坦な脳波が高い悟りの境地をあらわしているという科学的な根拠はありません。
    また、脳波に詳しい専門家によると、緊張が強い人や統合失調症の傾向がある人も脳波がフラットになるという場合があり、
コンピューターシステム(PSI)と電極・電流によって、大量の成就者を出すという考えは、非常に荒っぽく、安直であり、同時に、人を物質と見るかのような非人道的な側面がありましたが、
同時に、それはどこか現代の大量生産社会やコンピュータ社会に通じる発想とも思われます。

なかなかロマンティックだと思います。同じロマンティックなオウム解釈としては島田裕巳氏の「オウム真理教=ディズニーランド理論」があります。
で、PSIを平成期の情報化社会のメタファーと捉える考察に加えて、
上記の「功徳・カルマの貯金・消費的な勘定」観が、バブル期とその崩壊後までの「超資本主義社会」のひとつの産出物に思えます。
宗教は社会の写し鏡とよく言われます。つまり社会がカルトを産むという事はよく指摘されていますが、
小室直樹氏は、宗教家・預言者をシステム理論用語の「ビルト・イン・スタビライザー」にたとえました。
この用語はここでは「社会があるべき状態を逸脱した時に、それをあるべき状態に戻すため、もともと社会に組み込まれている制御メカニズム」を指します。
もしかしたらオウムは平成型資本主義に拒絶反応を起こした原始的な人類性の顕現としての側面があるかもしれませんね。

■小技
オウムは、信者が俗人(無宗教者)と接する事を避けるように教えました。これには異教徒との同化、あるいは教団外部の情報に接することで、世俗化=宗教に飽きる事を防止する狙いがある事も、歴史的に見れば明らかです。
たとえばイスラム教では、信者は異教徒と食事をする事を禁じられます。これにより、イスラム教徒と異教徒との同化を防げます。これに似たテクニックは世界中の宗教に見られます。
ユダヤ教の食物規定(食べていいもの・悪いものの分類)も同様です。実際に、現代でもハラルフードとかなんとかで難民移民と現地民が揉め事をよく起こしてますが、偉大な古代の教祖のテクニックの成せる技です。
また、オウムでは怒ったり悲しんだりして感情を強く動かすと、修行に使うためのエネルギーが体外に放出されると説明しました。
つまり無感動に徹せよという事です。加えてオウムの修行体系により、出家信者は不眠不休で毎日ハードな修行に打ち込んでいました。
マインドコントロールのテクニックとして、眠らさない、疲労させるなどして無感動にさせるというモノがあります。
北九州監禁での松永も同様のテクニックを使っていましたね。また前の記事でも書きましたが、とにかく疲労時は神秘体験をしやすい。神秘体験を重視していたオウム真理教では必須テクニックでしょう。
また「(ハルマゲドンなどの)存在しない危機を煽る」と「救済」というセットも、古来より宗教の基本的テクニックでした。

■「フロイト無意識教」とオウム真理教
オウム真理教は上述の通りカルマ、特に悪業を便利な理論として活用しました。
なんでもかんでも悪業。あなたの不幸は悪業かつカルマ落とし、オウムへの敵対者も悪業のかたまり。
で、ジークムントフロイトという精神研究者がいました。彼は人間の心理に発生する色々な現象を「無意識」のせいだとしました。
竹田青嗣いわく”フロイトニーチェマルクスと並んで、近代思想の限界を示し、20世紀の思想を決定づけた人物と見なされている。
 それは彼が人間の行為には無意識の動機があることを見出し、近代思想が前提としていた理性的人間像を打ち砕いたからだ”
フロイトは、人間の心の秘密をまるで複雑なからくり機械の構造を解き明かすように説明して、多くの熱狂的な信者をつくり出した。
 20世紀におけるその影響の大きさたるや、他に類を見ない。しかし、まず覚えておいた方がいいのは、フロイトの説の多くは、じつは現在までほとんど実証されていないということ。それはずっと仮説のままなのだ。”
”それでもフロイト理論には、わくわくするような説明の面白さがあり(中略)たとえば、夢で見る帽子はペニスのことだ、とか、動物恐怖症の人は父親への憎悪があるとか、
 人間心理の便利な「模型」図を手にして、それで人間の心を理解した気になってしまう(中略)これだとせっかくのフロイト思想も、血液型理論とたいして変わらなくなる。これは悪いフロイト読みの典型だ。”
「無意識」という概念は非常に夢があるし、面白いし、説得力がある。しかも反証も実証も実施し辛い。
人気の割には実証できる余地が少ないので、このフロイトの無意識理論は「無意識教」と揶揄されました。
カルマ理論も似たようなものですが、オウム真理教も「無意識」をよく用いました。
何冊か麻原の著作を読みましたが、どうもディテールが見えてこないのですが、オウム真理教における無意識理論は大体こういうものです。

全ての生命の魂は「マハーボーディ・ニルヴァーナ」という最高の場所に存在しました。
その魂は、マハーボーディ・ニルヴァーナのひとつ下の世界である、光だけの世界「コーザル世界」へと、好奇心から遊びに行ってしまう。
続けて、その魂はさらに下の世界である、微細物質だけで構成される世界「アストラル世界」に好奇心から遊びに行ってしまう。
その後、同じようにどんどん落下して行き、我々人間は六道輪廻の中の「人間界」に落ちてしまいました。オウムで修行して、いつか自身の魂を「マハーボーディ・ニルヴァーナ」に戻そう!というのがオウムです。
で、微細物質だけの世界「アストラル世界」での魂の経験が、我々人間の深層心理つまり無意識のもととなっています。
修行によって、たとえば瞑想で深層心理にアクセスし、深層心理内の汚れ=アストラル世界での経験 を削除しましょう!ということです。
ちなみにこの「落下説」は、大昔の哲学者プロティノスの「流出説」とほぼ同じです。私は偶然発見して驚きましたが、ネットで「プロティノス オウム真理教」でググっても特に何も出てきませんでした。
麻原は西洋哲学にも通じていたのでしょうか…
話を戻しますが、オウム真理教ではフロイト無意識教のように度々深層心理を説明に用います。他の仏教のセクトでも、「阿頼耶識」など無意識に関する理論があります。
ちなみに「アストラル世界」という微細な物質で構成された世界には「クリアーライト」つまり幽体離脱のような方法で行く事ができ、
たとえば日本で核戦争が起きてもオウム信者は「クリアーライト」して意識をアストラル世界に移し肉体を捨てれば無問題である。と説かれています。
実際に上祐さんや村井さんなどの成就者も、アストラル世界にたびたび旅行して、そこで見たもの体験したものについて詳細に述べていまして、
その文献は、オウム真理教の後継団体「アレフ」が秘密裏に運営する「オウム真理教非公式サイト」にて公開されていましたが、現在そのサイトが閉鎖していてみられません。

■ヨガのゲーム性
ヨガでは「クンダリニー」という概念があります。尾てい骨に眠る霊的エネルギーです。これが背骨をつたって頭頂部まで登る過程で、体内の各部位にあるチャクラ・結節を破壊します。
チャクラ・結節をクンダリニーが順次破壊するたび、順次「超能力が得られる」と麻原は説きました。

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で、このクンダリニーの上昇の勢いを高めるためには、禁欲をすることで発生する食欲(空腹感)や性欲など、生理的なパワーが燃料となります。
ですからオウムでは、なるべく日常生活で怒ったり悲しんだりと、感情を動かさないように奨励されました。なぜなら、それらの情動の力を、出来るだけクンダリニー上昇の燃料として使用すべきだからです。
なんだかゲーム的ですね。楽しんで取り組めそう。
オウムにおける「功徳」は、消費物=計算可能なものとして扱われました。
たとえば、他人に良いことをすると、自身の魂は功徳を稼げます。で、功徳が積もると、自身に現世的な喜び、つまりお金を稼げたり、仕事や恋愛の円滑化などの形でメリットが還ってきます。
で、その「功徳の現象化」に際して、功徳は償却されます。なので、解脱を目指すならば、貯金した功徳をなるべく修行にのみ還元し、現世的な喜びに消費されないように気をつける事が奨励されました。
在家修行者なんかは解脱(=輪廻転生からの脱出)を目指さず、天界に行く事(=よい輪廻転生)だけを目的とするようなケースが多かったですが、
そのような場合は、功徳はどんどん現世的な喜びに消費してもよいとされました。
哲学では「幸福・快楽は計算可能である」とする学派がいますが、オウム真理教もそのような感じですね。
資本主義社会で生活している現代人には、このように「可算」という感覚がヒットしたのでしょう。
ちなみにクンダリニー症候群は、ヨガだけでなく、仙骨への衝撃や、長時間の前戯、臨死体験向精神薬などの薬物摂取でも発症します。
私も合法LSDを摂取して瞑想をしまくった時や、普通に瞑想しまくったあとは2日3日くらいアナハタチャクラとムーラダーラチャクラ(胸とアナルらへん)が”むずむず””熱く””気持ちよく”なりました。
つまりチャクラが壊れかけているということです。しばらくすれば戻りますが、このように実際にヨガをすると明確に体調と心理に異変が生じます。
チャクラ壊れかけの日は不眠になる上に一日に5回くらいシコってしまいますね。
■おわりに
オウム真理教が規制仏教へのカウンターとしてなど様々な要因で需要があった事については前の記事「次にヒットする新興宗教のつくり方」(url)でかきました。
最近、「次にヒットする新興宗教のつくり方」のシミュレーションを煮つめたくていろいろとしらべていました。
そしたら「唯幻論」というものにであいました。「人間は幻想を常に希求する存在である」というものです。
私が宗教に興味を持つきっかけとなった色々な考えや疑問が、唯幻論で既にけっこう考察されていました。
この前も、自分が同人イベントで売ろうと考えていた宗教にかんする小説の内容が、見沢知廉の「天皇ごっこ」でかなり表現されていました。
そういえば中沢新一が、オウム事件が一通り終わった頃「私は宗教学者として死んだ」とした上で「これから宗教を表現するためには文学を用いるほかない」と言ってましたね。
確かに聖書もコーランも明確に文学ですし、そもそも神話全般が文学ですよね。
麻原も小説家になれば大成したと思います。宗教も文学も、他人の価値観を改変しようとするレースですし

 

 

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