pythonと自然言語処理を学ぶ日記

pythonと自然言語処理を学ぶ

日本age・韓国sageホルホルジョークは本当に英語圏で流行っているのか検証

「世界の日本人ジョーク集」みたいな本が売れていますが、日本人の中でもかなり英語圏のジョーク投稿サイトに目を通している私は「Korea」「Japan」が含まれるジョークなどほとんど見た事がありません。

www.fsight.jp上リンク先に載っている

 

問=新型コロナの特効薬は、どうやって開発されるか?

答=ドイツ人が発明し、

  アメリカ人が投資し、

  フランス人がデザインし、

  日本人が小型化し、

  イギリス人が実用化し、

  イタリア人が宣伝し、

  中国人が海賊版を作り、

  韓国人が起源を主張する。

これが実在するかを検証します。まあ実在しないでしょうが。

そもそも英語圏の人間の一定数が韓国に詳しくて、しかも「韓国がよく起源主張をして問題を起こす」事を知っているのか疑問です。アイルランド人が昔「白い黒人」と呼ばれてて、アル中のステレオタイプを付与されている事を知っている日本人がどれだけいるでしょうか?

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■1:upjokeを調査

upjokeは他のジョークサイト同様、有名なジョークをポストしていいねを得ようとする人が多いので検証材料たり得る。

The 30+ Best South Korea Jokes - ↑UPJOKE↑ 「origin」を含むジョーク0個 「invent」を含むジョーク0個 「Japan」を含むジョーク0個

The 89+ Best Korean Jokes - ↑UPJOKE↑  「origin」を含むジョーク0個 「invent」を含むジョーク0個 「Japan」を含むジョークが5個あるが、どれも日本を称えるジョークではない

■2:reddit/r/Jokesを調査

redditのジョーク系サブレディットは他のジョークサイト同様、有名なジョークをポストしていいねを得ようとする人が多いので検証材料たり得る。

r/jokesを「Korea invented」で検索すると下のポスト一件のみがヒット

Topical Jokes 4/18 : Jokes

しかし含まれるのはデニスロッドマンがNorth"Korea"に行った事に関するジョークだけ

「Korea invent」でも上のポストのみがヒットする

「Korea origin」で検索すると三つのポストがヒットするがいずれも「Japan」は含まれないし起源主張に関するジョークではない。が、下のポストがヒット

4 Passengers were sitting in a plane.. : Jokes

韓国人の投稿者が小学生の時に聞いたジョークらしい。

■3:reddit/r/DarkJokeを調査

「Korea origin」「Korea invent」「Korea invented」いずれもヒットせず

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おかしいです。このホルホルジョークは

インターネットやSNSで拡散している

のに、有名なジョークをしつこくポストするユーザー達が該当ジョークを一つも投稿していません。他のホルホルジョークについても調べようと思いましたが、どうせ実在しないのでしません。

 

4,進捗、カブり報告

カブり報告

ヒンドゥー教徒のおでこの赤色の点を、スナイパーのレーザーポインターと勘違いする←ファミリーガイがやってました

今 思いついたカブりは上記だけです。

 

pcの回線を止められ、最近あまり勉強ができませんでした。

色々と実験をしているのですが、恐らく私が作るお笑いAIは、あんまり冗談の生成に関して機械学習を使いません。機械学習を主に使うのは、たとえば「冗談と無関係な辞書」を作る時です。しかもその「冗談と無関係な辞書」、つまり上位語・下位語・共起関係語などのデータを大量に収録した辞書は、既にネット上でいろんな人が無料で公開してます。便利ですね。

つまり私が作ろうとしてたものはお笑いAIというかほとんど「冗談に関係しないclass型オブジェクトとdict型オブジェクトを作るための馬鹿デカい辞書」だった訳です。設計をパクられる可能性が出るので詳細は言えませんが、最近はVScodeの画面を見ながら毎日冗談と全く関係ない作業ばかりしています。

ちなみに私は21歳くらいから何故かどんどん日本のお笑いを面白いと思わなくなり、今作っているお笑いAI、もといお笑いプログラムの教師データもほとんどがシンプソンズに出てきた冗談です。芸人を目指してた頃は、M1やKoCのネタを見て笑えない人を完全に脳に問題があると思って内心差別していましたが…ちなみに私はお笑いコンテンツを、「安打数(=面白いと思ったボケの数)/打数(ボケの数)」の打率で計測しています。シンプソンズは今まで見たエピソードに限定して平均打率2割(s16より後のシーズンは含まず)、かもめんたるは今まで見たネタに限定して平均打率4割です。サウスパークは映画含め0割です。

 

話は変わります。お笑いプログラムを作っていて一つ課題を見つけました。

たとえば映画脚本を大量に学習して、売れる脚本を生成するAIがあるとします。

教師データの脚本に含まれる要素のうち、そのAIが「高く評価している要素のセットA」に運用者が何らかの形で干渉しなければ、そのAIは「セットA」をたくさん盛り込んだ、似通った脚本を量産してしまいます(それでもいいかもしれませんが)。

そのため「セットA」のものよりも劣る要素を強制的に脚本に盛り込ませる等の対策が必要かもしれません。こういう課題が私に起こっています。

また、教師データを部分的または完全に無加工のまま出力して、あるいは過去の作品とほぼ同じ内容のモノを偶然生成して、結果的に何かの作品をパクってしまう可能性もあります(まあ人間が作ったモノで同じ問題が常に起きてますが)。

脚本やメロディと同じく冗談も枯渇します。大抵の脚本が部分的にシェイクスピアと聖書にカブっている訳ですが、脚本以外にも、各種娯楽作品全般のパターンはほとんどが前例を有してしまっている訳です。皆さんがジジババになって死ぬより先に、その枯渇したエンタメ市場に、AIエンジニアが来てとどめを刺します。刺されるより刺したいから毎日作業をしています。これからアーティストはどうなるのでしょうか?

 

3,進捗、カブり紹介

06月07日、Pythonの入門書(新明解python入門)を終えました。数学の知識を要求されない事を祈りながら毎度ページをめくっていましたが、ついぞ出てくる事はありませんでした。
しかし、テキストマイニングの本にはマンハッタン距離とかデカルト積とかがたくさん載ってて、嫌な気持ちになります。

今回の記事では、私が今まで考えた面白文のうち、既に誰かが使用している事を確認できた面白文、つまりカブってる事を確認できた面白文を紹介します。

1.WW2敗戦によるドイツ分割を「ドイツが増える」と肯定的に表現する←冷戦期のジョークに既にあったようです
2.ヴィーガンは精液を飲めない←英語圏のネットミームに既にありました。
3.「Fuck you」を字義通りに解釈する←redditのジョーク投稿スレで頻出しています。まあ普通に考えてこれは誰でも思いつきますよね。「Ted2」のパーティーシーンにも同じボケがありました。
4.黒人を対象にしたジョークで「(バスケットボールの)court」と「(法廷の)court」を引っ掛ける←めちゃくちゃオーソドックスなようです。これも誰でも思いつきますよね。
5.部落民のキャラ(皮田)を「近親相姦に関する面白文」の対象にする←「アラバマジョーク」というアメリカンジョークの類型に、「近親相姦に関する面白文」が取りうる(恐らく全ての)形態が大量使用されています。これでは部落関係の面白文を生成しようがない…
ちなみに私が気に入ったアラバマジョークを2つ紹介。

・Q.「CSI:アラバマ」が作られない理由は? A.DNAが皆同じで、歯形も取れないから
・Q アラバマ人の男が姉・はとこ・叔母・義母・母を殺した。死亡者は合計何人? A:2人

他にも、カブってる事を確認できた面白文は大量にあるのですが、その紹介はまたの機会に。では。

2,進捗

Pythonの組み込み関数の使い方は8割ほど覚えたので、ぼちぼちテキストマイニングの入門書を読んでいます。

無知ゆえか有能ゆえか、ある程度お笑いAIの青写真が見えてきました。

大修館書店から出ている「レトリック辞典」という分厚い本を読んでいるのですが、「このパターンの冗談はギリシア喜劇の頃からあったのか」とか「明より前の時代の中国人は既にこのパターンの冗談を言ってたのか」など驚きの連続です。高い本ですが、古本屋が誤って安く売ってたら買うのをオススメします。

1,病んでいます

勉強の進捗を書くぞ!と宣言した矢先ですが、今週は大きな心労に襲われたので、それについて書かせていただきます…申し訳ございません…

 

pythonの入門書をこなしつつテキストマイニングの本を読んでいます。

今週は一日平均3時間勉強しました。無職なのに勉強時間が短すぎますね。これには理由があります。

 

Googleは、AIに冗談を解説させる研究をしています。

nazology.net

私の素人目には、「冗談を解説するAI」より「冗談を生成するAI」を作る方が簡単に見えます。

あるいは「冗談を解説するAI」を開発できるエンジニアは「冗談を生成するAI」を開発する能力を有しているように思えます。

Googleが「冗談を生成するAI」でなく「冗談を解説するAI」を作っている理由が、「前者を作るのが簡単すぎる」というものだった場合、私が人生の大半の時間を費やしてきた「冗談の生成」という行為が「Googleの金で研究する必要もない些事」であるという事になります。

加えて、自動運転や高層建築物の設計ができるAIよりも、冗談を作るAIの方が開発が困難だとは、私は思えません。

仮に、上述した通り「冗談を作るAI」の開発が極めて容易であるならば、明日にも、5分後にも、どこかのエンジニアが、コメディアンを完全に失業させる水準の超面白AIを発表しておかしくない訳です。しかもそれをオープンソースにして全世界に無料配布する可能性もあります。

 

上記の事を考えると、パニック発作の予期不安のような状態になり、勉強に集中できません😭

睡眠薬抗うつ剤を飲みたいので近所の精神科を予約したのですが、7月にならないと診察できないとのこと😭

いずれAIエンジニアがコメディアンを失業させる日は来ます😭

だから私は「AIに失業させられる側」でなく「AIで失業させる側」に立ちたいです😭

それがAIの勉強を始めた最大の理由です😭

もし「失業させる側」という勝ち馬に乗れなかったとしたら、悲しい😭

実は2017年あたりから薄々「自分が40歳になる前にAIはコメディアンを失業させるだろう」と勘付いていました。


AIエンジニアは日々、様々な分野の芸術家を失業させるための研究をしています😭

こんな事なら芸術ではなく「草野球」とか「ランニング」とか「食事」を愛する人間に生まれたかった😭

だいぶ前にAIに手も足も出なくなった将棋棋士・チェス棋士には、その敗北の衝撃に立ち向かうために、「棋理への興味」を「棋士である自分への自尊心」よりも優先する選択肢があった訳です。私にそういった選択肢はありません。

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と、勉強の進捗を報告するといいながら、メンタルの不調を報告してしまいました😳

悩んでいる暇があるなら関数の一つでも覚えろという話ですよね😳

今週はpythonブラックジャックを作りました😳

私がPythonに習熟して冗談生成AIを作るが先か、そこら辺のエンジニアが余技として冗談生成AIを作るが先か…

来週はなるべく目の前のタスク以外に意識を向けないようにします😳

pythonと自然言語処理を学ぶ日記

私は人に監視されているプレッシャーがある方がモチベーションを確保できるので、今日からこのブログに勉強の進捗を書きます。

python自然言語処理を学び始めたのは、自分のかわりにAIにコメディを作らせるためです。

将棋AI界隈と違って(厳密にはトップクラスの将棋AIを作っているエンジニア達は一般に自分の製品のことを「将棋AI」ではなく「将棋ソフト」と言っていますが)、コメディAIを研究しているエンジニアの中に、"AI"ではなく"コメディ自体"に長時間携わった人間はいないので、そこに私が参入したら何かよい事が起こるのではないかと思ったのが第一の動機です。

第二に、渾身の作品である川崎国の1話と2話がかなりスベったことで、(支援者の方には申し訳ないですが)自力で漫画を描くモチベーションがなくなったという動機があります。もちろん今後も毎年1つ新しいエピソードを更新していきますが、その新しいエピソード達に徐々に自然言語処理の勉強の成果物を盛り込めていけたらな・・・ゆくゆくは漫画に盛り込む冗談の5割以上をAIに作ってもらえればな・・・と思っています。

AIにコメディをさせる事が、AIに自動運転をさせる事より簡単だとしたら、いやですね。

最前線で自動運転とかを研究してるエンジニアが、一斉にコメディを研究し始めたら、五年も待たずに地球からコメディアンが消えるのでは?毎晩ふとんでそう思っています。

このブログは勉強日記になるので、一部の方には購読解除のお手間をおかけします。申し訳ございません。

 

ww2におけるドイツのコメディアン4例

英語の勉強のためにしている翻訳なので誤訳が多いです 意味が分からなかったセンテンスには”(?)”と書き添えます。

 

1・Rubinstein

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https://www.ushmm.org/online-calendar/event/mashapirolec0319

”A Fool or Prophet?  Rubinstein,the Warsaw Ghetto Street Jester”

馬鹿か預言者か―ワルシャワゲットーの路上道化 ルビンシュタイン

 

”Rubinstein was viewed as both a philosophical prophet and a comic fool of the Warsaw ghetto.”

ルビンシュタインはワルシャワゲットーにおいて哲学的預言者かつ滑稽な馬鹿として見られていた。

”Rooted in an Eastern European Jewish culture of jesters (badkhanim), Rubinstein used to roam the streets of the ghetto,  amusing passersby with his extravagant body gestures, puns, and sayings, including his most famous: "Alle gleich—urm un reich!" ("All are equal—poor and rich!”)”

東欧系ユダヤ人の道化文化(badkhanim)に根付き、ルービンシュタインはゲットーのストリートを練り歩き、派手な身振り手振り、ダジャレ、そして彼のもっとも有名な「金持ちも貧乏人も皆平等だ!」という発言を含むジョークによって通行人を楽しませていた。

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調べた所、ファーストネームなどの詳細が不明なこの人物は、1942年に死ぬまで、ゲットー内でパフォーマンスをし、ゲットー住民やドイツ兵からのおひねりで生活していたそうです。

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戦場のピアニスト」にも、誰であるとかの説明は特にありませんが数十秒間出てます。

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2・Max Ehrlich

 

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https://en.wikipedia.org/wiki/Max_Ehrlich


In 1933, the National Socialists seized power and stopped Ehrlich and his other Jewish colleagues from working in Germany. As a result, he left for Vienna to appear with the Rudolf Nelson Revue. However, there too, Austrian anti-Semites interrupted the show with cries of "Jews, get out of Vienna." Consequently, the troupe left for The Netherlands, stopping en route for stage appearances in Switzerland.

1933年、ナチスが政権を握り、Ehrlich およびそのユダヤ人同僚達はドイツでの活動を休止。彼はルドルフ・ネルソン歌劇団に出演するためにウィーンに向かった。

しかし、そこでもオーストリア反ユダヤ主義者は「ユダヤ人、ウィーンから出ていけ」と叫びショーを中断させた。その結果、劇団はオランダに向かい、途中、スイスでも舞台に立った。

 

In 1935, homesick for his native land, Ehrlich returned to Nazi Germany. Jewish entertainers once again were permitted to perform there but only within the framework of the Jüdischer Kulturbund (Jewish Cultural Union) and exclusively in front of Jewish audiences. Ehrlich was named director of the Kulturbund's light theatre departments. However, following the 1938 pogrom "Kristallnacht," he decided to leave Germany definitively.

1935年、祖国を懐かしんだ彼はナチス政権下のドイツに戻った。ユダヤ人エンターテイナーはもう一度ドイツでの活動を許可された。しかしそれはユダヤ文化同盟の枠内(?)で、ユダヤ人の観客の前のみに限定された。

EhrlichはKulturbund's light theatre departmentsのディレクターに任命されたが、その後1938年の水晶の夜事件を受けて彼はドイツを去る決心をした。

 Both of his farewell performances immediately sold out, so that a third presentation on 2 April 1939 was added. Here, in front of a full house of fans, calling out their affection and encouragement, Ehrlich made his final appearance in Germany. 

1939年4月2日に行われた彼の3回目のお別れ公演は、2回ともすぐに完売した(?)。満員のファンの歓声の中、エーリッヒはドイツでの最後のパフォーマンスをした。

Subsequently, he returned to the Netherlands once again and joined Willy Rosen's "Theater der Prominenten" (Theatre of Celebrities), until in 1943 –like so many of his colleagues– Ehrlich was imprisoned in the Westerbork concentration camp. While at Westerbork, he created and became director of the "Camp Westerbork Theatre Group"

(中略)A majority of the actors were famous Jewish show business personalities; prominent artists from Berlin and Vienna, such as Willy Rosen, Erich Ziegler, Camilla Spira, and Kurt Gerron; or well known Dutch performers, like Esther Philipse, Jetty Cantor, and Johnny & Jones. At its high point, the group counted fifty-one members, including a full team of musicians, dancers, choreographers, artists, tailors, and make-up, lighting, and other technicians, as well as stage hands.

その後、彼はオランダに戻りもう一度Willy Rosen's "Theater der Prominenten" (Theatre of Celebrities)に所属した。1943年の間に、彼は多くの同僚達とともにWesterbork強制収容所に収容された。Westerbork強制収容所の生活の中で、彼はディレクターとして"Camp Westerbork Theatre Group"を作った。(中略)出演者の大半はユダヤ人の著名なショービジネスの面々、主にベルリンやウィーンの著名なアーティスト、例えば Willy Rosen, Erich Ziegler, Camilla Spira, and Kurt Gerron、あるいはEsther Philipse, Jetty Cantor,Johnny & Jonesといったオランダの有名なパフォーマーたちだった。最盛期にはこのグループのメンバーは51人にのぼり、ミュージシャン、ダンサー、振付師、アーティスト、テーラー、メイクアップ、照明、その他の技術者、舞台係などで構成されていた。

 

(中略)

Eyewitnesses recount that, after reaching Auschwitz, he was recognized by a Hauptsturmführer. 

As a result, Ehrlich was subjected to additional torture: brought before a group of SS officers holding their loaded guns aimed at him, he was ordered to tell jokes.

On 1 October 1944, Ehrlich was murdered in the Auschwitz gas chambers.

 

目撃者によると、アウシュビッツ到着後、Ehrlichは上級大将に発見(訳註・有名人だから?)された。

その結果、Ehrlichは特に酷い拷問をされた。SS将官の前に引っ張り出され、装填された銃を突きつけられ、ジョークを言うよう命令された。

1944年10月1日、アウシュビッツガス室で殺害された。

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3・Werner Finck

https://en.wikipedia.org/wiki/Werner_Finck

Born in Görlitz in Prussian Silesia, the son of a pharmacist, Finck attended an art school in Dresden and began his career as an itinerant storyteller of fairy tales in the 1920s. He took acting lessons and began a mediocre tenure in the theatre, making his debut in Silesian Bunzlau (present-day Bolesławiec, Poland). However, it became obvious that he had "comic bones" and when he met a friend who had contacts in the Berlin Kabarett scene, he found his true calling.

プロイセン領シレジアGörlitzで薬剤師の息子として生まれたフィンクは、ドレスデンの美術学校に通い、放浪のおとぎ話朗読師としてのキャリアを1920年に開始した。

彼は演技指導を受け平凡な劇場に所属し、シレジアのブンツラウ(現在のポーランド、ボレスワヴィエツ)でデビューした。

しかし彼は、コメディの才能がある事を、ベルリンのキャバレー界隈にコネクションを持つ友人に見出され、天職を見つける事となる。

 

Together with artists like Hans Deppe, Rudolf Platte and Robert A. Stemmle he founded the cabaret Die Katakombe with some friends in 1929. Finck acted as conferencier, and the cabaret, became successful because of his critical and subtly impudent remarks against the Nazis, proving to be an early thorn in their side.

Hans Deppe,Rudolf Platte,Robert A,stemmleなどのアーティストたち、そして数人の友人と共に1929年にキャバレー「Die Katakombe」を設立。フィンクは講談師として活動、彼のナチスへの過激かつ微妙に厚かましい台詞でキャバレーは成功。瞬く間にナチスの目の上のタンコブになった。

(thorn in one's side=~の目の上のたんこぶになる)

 

He often defied authority by daring Gestapo informers in the audience to write down every word he said. According to an anecdote, Finck once confronted an officer asking with seeming innocence, "Am I talking too fast? Can you follow me or shall I follow you?"

彼は大胆に権威に背き、客席のゲシュタポの情報提供者達に自分の台詞をメモに記録するよう言い、また、ある逸話(or冗談)によると、フィンクは一度、客席のofficer(=警官?)に、「私は早く喋りすぎていますか?私についてこれますか、貴方のペースに合わせましょうか」と無邪気に問いかけたという。

 

The way Finck presented his jokes made it very difficult for authorities to nail him down. His exploits made him a legend in his lifetime, to such an extent that when he introduced himself to British and American journalists after the war, he was met with disbelief as they believed that the "Werner Finck" who joked against the Nazis was a fairy-tale figure.

フィンクがジョークを言うにあたって取っていた方法は、当局が彼を拘束する事を困難にしていた(訳註・褒める体裁でナチスを批判していたため)。

その活躍は生前から彼を伝説化させており、彼は戦後米英のジャーナリストに自身を紹介した際、「ナチスを笑いのタネにする "Werner Finck" なる人物はおとぎ話の存在だ」と訝しがられたという。

(nail one down=拘束・逮捕する)

(to such an extent that =~なほど)

 


However, the Katakombe was closed on 10 May 1935 on the orders of Minister Joseph Goebbels. Finck and his colleagues were interned for six weeks in Esterwegen concentration camp,

しかし、「the Katakombe」は1935年5月10日にゲッベルスの令で閉鎖された。フィンクと同僚は6週間、Esterwegen強制収容所に抑留された。

 

It was due to the intervention of his friend, actress Käthe Dorsch, who talked to Goebbels' rival Hermann Göring, that Finck was released on 1 July on condition that he did not work in public for a year.

彼の友人である女優 Käthe Dorschは、ゲッベルスの政敵ゲーリングに相談。介入の結果、Finckは7月1日、一年間公共の場でパフォーマンスしない事を条件に釈放された。

(on condition=~という条件で~)

 

Despite this he continued performing before live audiences from 1937 onwards, as well as in film, where he had a successful, if undistinguished, career from 1931. However, he was banned from the Reichskulturkammer in 1939 and, threatened with arrest again, he joined the Wehrmacht armed forces in the rank of a private radiotelephone operator to avoid imprisonment. A member of the 23rd Infantry Division, he was awarded the Iron Cross, 2nd class and the Eastern Front Medal, which he called "Frozen Meat Medal" (Gefrierfleischorden).

 

それにもかかわらず、彼は1937年以降も活動を続け、目立ったキャリアはないものの(?)それだけでなく映画にも出演し成功を収めた。

しかし、1939年に帝国文化博物館から追放され、再び逮捕すると脅されたため、投獄を避けるためにドイツ国防軍に入隊し、二等兵の無線通信士になった。第23歩兵師団に所属し、2等鉄十字章と「冷凍肉勲章」(Gefrierfleischorden)と呼ばれる東部戦線勲章を授与された。

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4・Tran and Helle

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https://en.wikipedia.org/wiki/Tran_and_Helle_films

 

ナチスプロパガンダ映画に出演していた二人の喜劇俳優

 


From September 1939 the pair appeared in a number of weekly 2–3 minute short films, which usually accompanied Die Deutsche Wochenschau newsreels or feature films screened in cinema.


1939年9月以降、2人は毎週2-3分の短編映画に多数出演した。通常はDie Deutsche Wochenschauのニュース映画や映画館で上映される長編映画に付随して出演した。

 

Tran was a bald, conniving and dim-witted character whose frequent transgressions would run counter to the German war effort or security. In different episodes Tran would listen to the BBC, refuse to donate his accumulated kitsch scrap metal, or engage in black market activities. His friend Helle—taller, handsome and appearing to be more considered in judgement—served as the foil who would ultimately show his fellow Rhinelander the error of his ways.

Tranはハゲかつ不正行為をする馬鹿なキャラクターで、頻繁にドイツの戦争努力や安全に反するような違法行為をする。彼は様々なエピソードでBBCを聴いたり、彼がため込むキッチュな鉄製品(?)の金属供出のお願いを拒否したり、闇市場の活動に手を染める。彼の友人であるHeller(長身、ハンサム、判断力があるが最終的には仲間のラインランダーに自分のやり方の間違いを教える箔付け役となる(?))

 

While Jews were portrayed as untrustworthy, the series lacked the heavy-handed antisemitism found in other German film productions of the Nazi era.

劇中でユダヤ人は信用できないものとして描かれるが、本映画はナチ政権下の他のドイツ映画に見られるような高圧的な反セム主義が欠けている。

 

Tran and Helle's shorts were discontinued in the fall of 1940, possibly due to the authorities becoming concerned that audiences could sympathise with the wrong-footed but essentially human Tran, who would on occasions utter ideas contrary to the Nazi regime.[2] Schmitz was a member of the SS from 1 March 1934 and a member of the Nazi Party from May 1937, however he was barred from the German film industry from 1941 "due to unworthy behavior". It was only in the 1950s that the popular comedian was seen again in the West German cinema.

Tran and Helleの短編は1940年秋に打ち切られたが、これは恐らく、ナチス政権に反する考えを口にすることもあり、誤った方向に進んでいるが本質的には人間的なトランに観客が同情することを当局が懸念したためだろう。

シュミッツは1934年3月1日からSSメンバー、1937年5月からナチ党員であったが、1941年から「相応しくない行為のため」ドイツ映画界から追放されることになった。この人気コメディアンが西ドイツの映画界で再び見られるようになったのは1950年代になってからである。

 

(become concerned=~を懸念する)

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ちなみに小林賢太郎がオリンピックの時に炎上しましたが、ユダヤ人は自分らでホロコーストを笑いのネタにしています。

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最近は欧米もコンプライアンスが厳しくなってきたようで、頻繁に大物コメディアンのジョークが炎上しています。